浅草をめぐる日本語情緒<4> 吾輩(わがはい)は誰? 僕(ぼく)はバカ?

ウナギ料理店のしにせ「鰻やっこ」

浅草をめぐる日本語情緒<4>

吾輩(わがはい)は誰? 僕(ぼく)はバカ?

夏と言えばウナギが食べたくなります。

浅草に創業(そうぎょう)以来200年以上続いているウナギの料理店があります。

店名は「鰻(うなぎ)やっこ」。

屋号(やごう)の「こ」の字は「古」の変体仮名(へんたいがな=今と違うひらがなの字体)になっています。

俳人(はいじん)で小説家の久保田万太郎(くぼたまんたろう)の生家(せいか)が、この店のはす向かいにありました。

久保田の有名な俳句(はいく)があります。

竹馬(たけうま)や いろはにほへと ちりぢりに

久保田万太郎

「いろは」から一緒(いっしょ)に学(まな)んだ竹馬(ちくば)の友も、今はみな、散り散り(ちりぢり=ばらばら)になったことだ――と感慨深(かんがいぶか)げに詠(よ)んでいます。

句碑(くひ)が浅草神社(あさくさじんじゃ)に立っています。

以前、見事(みごと)に大学院修士課程に合格した学生のお祝(いわ)いを、修了式の後、この老舗(しにせ)で行(おこな)ったことは懐(なつ)かしい思い出です。

文字通(もじどお)り、日本語の「いろは」ならぬ「あいうえお」から学習した留学生が、夢を抱(いだ)いて旅立っていく英姿(えいし)を見ることほど、うれしいことはありません。

「鰻やっこ」は夏目漱石(なつめそうせき)の『虞美人草(ぐびじんそう)』『彼岸過迄(ひがんすぎまで)』にも出てきます。

幼少(ようしょう)のころ、漱石は浅草で育(そだ)ちました。

小説『吾輩(わがはい)は猫である』は初期作品で、とてもおもしろくて読みやすく、近代日本語の書き言葉を普及(ふきゅう)させた名著(めいちょ)と言われています。

タイトルを英訳すれば、さしずめ「I am a cat.」でしょうが、これでは、日本語の情緒(じょうちょ)が完全に失(うしな)われてしまいます。

「吾輩」という一人称(いちにんしょう)が持つ自尊心(じそんしん)も、孤独(こどく)さも、男性であるという性別(せいべつ)さえも埋没(まいぼつ)してしまいます。

この点について、国語学者の金田一春彦(きんだいちはるひこ)が解説(かいせつ)しています。

「吾輩」は、この小説の書かれた明治末年(めいじまつねん)ごろは、大臣(だいじん)とか大将(たいしょう)とか言う人の常用語(じょうようご)だった。「吾輩は……」と出られると、どんな偉(えら)い人かと謹聴(きんちょう)する。と、「猫である」と落(おと)す。

金田一春彦編『日本語講座第1巻 日本語の姿』

日本語には一人称(いちにんしょう)の表現が多いと言われます。日本語の学習では、まず男女とも「私(わたし)」で勉強しますが、男性の場合、マンガやアニメの影響(えいきょう)から、いきなり自己紹介で「俺(おれ)は……」という学習者に出くわすことがあり、びっくりさせられます。

かつて、上級レベルに達している学生が、大学院受験(じゅけん)のための面接練習(めんせつれんしゅう)のときに、面接官役の日本語教師に、「俺が……」とやった日には、思わず絶句(ぜっく)してしまいました。

浅草国際学院は、マンガ専門学校「日本マンガ塾(じゅく)」と提携(ていけい)し、マンガやアニメを学(まな)びたい若者の募集(ぼしゅう)も行(おこな)っています。『鬼滅の刃(きめつのやいば)』を日本語で読めるようになりたいとの理由で、入学を希望する学生もいます。

『鬼滅の刃』の主人公(しゅじんこう)は自分のことを「俺」と言います。

『ONE PIECE(ワンピース)』の主人公の決めゼリフは有名です。

海賊王(かいぞくおう)に、おれはなる。

尾田栄一郎『ONE PIECE』

普通の語順は、「おれは海賊王になる」ですが、おそらくあえて倒置法(とうちほう)で表現し、先に「海賊王に」と言うようにしたのでしょう。

言葉の響(ひび)きに強さがにじみ出ています。

言語を研究する川添愛(かわぞえあい)さんは著書『ふだん使いの言語学――「ことばの基礎力」を鍛えるヒント』(新潮選書)で、この文を「かきまぜ文」(助詞が比較的自由な語順で現れる文)として紹介(しょうかい)し、「日本で一番有名なかきまぜ文ではないだろうか」と強調(きょうちょう)しています。

「僕(ぼく)」という一人称もあります。言語学者の柳田国男(やなぎだくにお)は、バ行の音は本来あまり好(この)まれない言葉だと指摘(してき)しています。

そして次のように述(の)べています。

「ボク」は「馬鹿(ばか)」と、もとは一つのものであったらしい。

柳田国男『毎日の言葉』

一方、柳田は「オレ」については「われ」との関連性(かんれんせい)に触(ふ)れながら「ボクのように新しいもので無(な)く、又(また)まちがった言い方(かた)とも言えない」と、擁護(ようご)しています。

それと関係はないでしょうが、浅草演芸ホールで若いころに話芸(わげい)を磨(みが)いた、漫才師(まんざいし)で映画監督(えいがかんとく)の北野(きたの)たけし氏は、「おいら」をよく使います。

そう言えば、「ウナギイヌ」というキャラクターがいました。ウナギと犬のハーフです。この妙(みょう)な生き物が登場(とうじょう)する『天才バカボン』のパパは、「わし」という一人称を使っていました。

ほんと、いろいろな一人称がありますね。

夏目漱石の小説『彼岸過迄』に「奴鰻(やっこうなぎ)の角へ出た」とある。
奴鰻とは料理店「鰻やっこ」のこと。この写真の辺りの昔の風景を描写している。
雷門通り。左側に「鰻やっこ」があり、その向かい側にかつて久保田万太郎の生家があった。