浅草をめぐる日本語情緒<12> かっぱ橋(ばし)道具街(どうぐがい)を歩いて「道の具え(みちのそなえ)」を考える

言問通り側のかっぱ橋道具街通りの案内看板
ユニフォーム店にコック姿がぞろり
巨大な包丁が店の前に

浅草をめぐる日本語情緒<12>

かっぱ橋(ばし)道具街(どうぐがい)を歩いて「道の具え(みちのそなえ)」を考える

浅草国際学院のすぐ近くに台東区立中央図書館があります。区の生涯学習(しょうがいがくしゅう)センターの中にあります。いつも、様々(さまざま)な資料(しりょう)の閲覧(えつらん)などでお世話(せわ)になっている図書館です。

図書館がある通りは、「かっぱ橋道具街通り」と言います。図書館の数メートル先(さき)で言問通り(ことといどおり)と交差(こうさ)しています。

このかっぱ橋道具街通りは、世界中の料理人やレストラン関係者、食品関係者が訪(おとず)れる有名な場所です。

東京合羽橋(かっぱばし)商店街振興組合(しょうてんしんこうくみあい)の資料には、次のようなキャッチコピーが躍(おど)っています。

満足道具(まんぞくどうぐ)のあふれる街

〝食(しょく)〟の専門店の集まる「かっぱ橋道具街」

プロを(ささ)えるプロの街

パンフレットにもなっている「かっぱ橋道具街便利マップ 2021.3」には、次のように店舗(てんぽ)が業種別(ぎょうしゅべつ)に掲載(けいさい)されています。

料理飲食用機械器具・キッチン用品

陶器(とうき)・ガラス製品

漆器(しっき)

包装(ほうそう)用品・容器 装飾品(そうしょくひん)・店舗備品(びひん)

店舗設計施工(せこう) 陳列(ちんれつ)ケース・家具

厨房機器(ちゅうぼうきき)・冷蔵庫 冷蔵ショーケース

ディスプレイ・看板(かんばん)

食品サンプル

竹製品・木製品

白衣(はくい)・のれん

製菓(せいか)製パン機械器具(きかいきぐ)

製菓材料・喫茶(きっさ)材料 食料品・菓子(かし)

その他の業種

「かっぱ橋道具街便利マップ 2021.3」

まさに、食のプロ御用達(ごようたし)の街並み(まちなみ)。その数130店余りです。

また、同組合のホームページには「かっぱ」の由来(ゆらい)が紹介されています。

https://www.kappabashi.or.jp/

名前の由来には2説あるそうです。

一つ目は、今は小学校が建っている場所に、城主(じょうしゅ)の下屋敷(したやしき)があり、足軽(あしがる=下級武士))たちが内職(ないしょく)で作った雨合羽(あまがっぱ)を、天気の良い日に近くの橋にズラリと干(ほ)していたという、「雨合羽」説。

もう一つは「河童(かっぱ)」説で、通称〝かっぱ寺〟に墓所(ぼしょ)があった合羽屋喜八(かっぱやきはち)の話。江戸時代(えどじだい)、喜八が私財(しざい)をなげうって、この辺(あた)りの洪水対策(こうずいたいさく)を始めた。工事がなかなか進まないのを見かねた隅田川の河童たちが、彼の善行(ぜんぎょう)に感動し、夜な夜な工事を手伝ったそうだ。そして、なぜか河童を見た人は運が開け、商売も繁盛(はんじょう)したという。

ちなみに、雨合羽の「かっぱ」は、もともとポルトガル語の「capa」です。

そして、「河童」は「かは/かわ(河)」+「わらわ/わっぱ(童)」から変化したというのが有力です。

河童は水中にいます。頭に皿があります。飲食店も水と皿には縁(えん)が深いわけで、河童は商売繁盛の縁起物(えんぎもの)です。

かっぱ橋道具街通りの横道に立つ「かっぱ河太郎像」。商売繁盛ののぼりと共に

作家・芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)の小説『河童』には、タイトルの横に、「序(じょ)」に先立って、こんな一文がつづられています。

どうかKappaと発音して下さい。

芥川龍之介『河童』(ちくま文庫)

読み進めると、河童の世界を垣間見(かいまみ)た主人公による河童の生態観察(せいたいかんさつ)がつづられています。

河童は未(いま)だに実在するかどうかも疑問(ぎもん)になっている動物です。が、それは僕自身が彼等の間に住んでいた以上、少しも疑(うたが)う余地(よち)はないはずです。

頭のまん中には楕円形(だえんけい)の皿があり、そのまた皿は年齢により、だんだん固かたさを加えるようです。

一番不思議(ふしぎ)なのは河童の皮膚(ひふ)の色のことでしょう。河童は我々人間のように一定の皮膚の色を持っていません。何でもその周囲(しゅうい)の色と同じ色に変わってしまう、――たとえば草の中にいる時には草のように緑色に変り、岩の上にいる時には岩のように灰色(はいいろ)に変るのです。

芥川龍之介『河童』(ちくま文庫)

「河童忌(かっぱき)」という夏の季語があります。芥川の祥月命日(しょうつきめいにち)で、7月24日のことです。

芥川の盟友(めいゆう)であった浅草生まれの久保田万太郎(くぼたまんたろう)が句(く)を詠(よ)んでいます。

河童忌や  河童のかづく  秋の草

久保田万太郎

夏の暑い盛(さか)り、今日は芥川龍之介の亡(な)くなった日。河童がどこかで、秋の気配(けはい)を感じさせる草を頭の皿にちょこっとかぶせているかも。

「かづく」は古語で、「被る(かぶる)」の意味です。

「かづく」はまた、「潜(もぐ)る」の意味もあります。

だとすると、秋の草が川に浮かんでいて、それを目がけて河童が川に飛び込んだという想像(そうぞう)でしょうか。

はたまた、先ほど引用した小説『河童』の一節「草の中にいる時には草のように緑色に変り」を思い起こし、草の中に潜る河童が頭の中に現(あらわ)れたのかもしれません。

プレゼントに名前入りの箸(はし)はいかが?

かっぱ橋道具街は「道具」という言葉を使っています。「調理器具(ちょうりきぐ)」などとも言うので、「器具」でもいいと思うのですが、それを使わず、「道具」です。

キッコーマンのしょうゆ卓上(たくじょう)びんをデザインしたことで有名な榮久庵憲司(えくあんけんじ)。秋田新幹線「こまち」のデザインなども手掛けた世界的な工業デザイナーです。彼は次のようにいくつもの箴言(しんげん)を残しています。

道具は、道(みち)の具(そな)え、と書かれている。道の具わりたるを、道具というのか。

道具と言う言葉を、どう使っていったらいいのか、どこまで意味範囲(はんい)を広げて使っていいのか。私の胸中(きょうちゅう)には、まだ乱れがあるのだが、この言葉がたくさんの事柄(ことがら)をはらんでいることは充分(じゅうぶん)うかがえる。

道具は人間の心を映(うつ)す鏡(かがみ)である。いや、道具はむしろ人間の影(かげ)なのもかもしれない。

道の具わりたる手が舞(ま)うとき、道具は踊(おど)りだす。

道具は黙(もく)して、雄弁(ゆうべん)である。しっかり口をつぐんでいるけれども、機能を語り、品位(ひんい)を語り、来歴(らいれき)を語り、個性や主張をあらわにしている。

榮久庵憲司『道具論』(鹿島出版会)

「道具は、道の具え」――深い言葉だと思います。

「道」は日本人の精神性を表す言葉として、よく紹介(しょうかい)されます。

仏道(ぶつどう)、神道(しんとう)、武道(ぶどう)、柔道(じゅうどう)、剣道(けんどう)、空手道(からてどう)、弓道(きゅうどう)、茶道(さどう)、華道(かどう)、書道(しょどう)……。

「道場」と言えば、元(もと)は仏道修行(しゅぎょう)の場(ば)のことですが、やがて武道などの修行の場所に意味が広がっていきました。

ゴールは必ずしも設定(さってい)されてはおらず、自分が決めたその道を努力(どりょく)によって一歩、一歩、踏(ふ)み固(かた)めて進んでいく。その過程(かてい)の精神の輝(かがや)きを「~道」と呼ぶように思えます。

「具え」は「備(そな)え」とは違います。

「備え」は、何かの前に心を定(さだ)め、すべきことをし、何があっても大丈夫な気持ちにするイメージです。「準備(じゅんび)」ということです。「地震(じしん)に備えて様々な対策をする。」のように使います。

「具え」は、その人、その物にもともとある性質(せいしつ)を言います。また、足(た)りないことがなく、十分(じゅうぶん)に必要な分がある様子(ようす)を言います。「具足(ごそく)」という熟語(じゅくご)があります。「人は皆、本来、善性(ぜんせい)を具えている。」などと言います。

とするならば――かっぱ橋道具街通りを歩き、様々な道具に触(ふ)れながら、世界的工業デザイナーも考えた「道具」という言葉の「意味範囲」を考えてみたい。

道具は「道の具え(みちのそなえ)」。ならば、人が進むべき方向のために、本来(ほんらい)、自(みずから)ら持ち合わせているものでありながら、しかし、万一(まんいち)何か足りない場合は、補(おぎな)い助(たす)けてくれるものが道具、すなわち道の具えというものなのかもしれません。

大きなコーヒーカップが目を引くビル
浅草通り側の案内看板