浅草をめぐる日本語情緒<14> 浅草黒船町(くろふねちょう)――「面白い(おもしろい)」の反対は「面黒い(おもくろい)」?



浅草をめぐる日本語情緒<14>
浅草黒船町(くろふねちょう)――「面白い(おもしろい)」の反対は「面黒い(おもくろい)」?
隅田川岸(すみだがわぎし)に「駒形(こまがた)」「蔵前(くらまえ)」という地名があります。
駒形2丁目交差点には玩具会社(がんぐがいしゃ)バンダイの本社ビル(所在地は駒形1丁目)が立っています。その建物の前では、アンパンマン、ドラゴンボールの孫悟空(そんごくう)、ドラえもん、ウルトラマン、仮面ライダーといったキャラクターたちが出迎(でむか)えてくれます。
「バンダイ」という社名は、中国の古典(こてん)にある「萬代不易(ばんだいふえき)」という言葉に由来(ゆらい)しているそうです。
同社のホームページの「バンダイこどもひろば」には次のようにあります。https://www.bandai.co.jp/kids/qa/
萬代不易(ばんだいふえき)とは、「永遠(えいえん)に変わらないこと」という意味で、「いつの世でも人びとの心を満(み)たす商品を作り、やむことのない企業(きぎょう)の発展(はってん)を願う」という気持ちがこめられています。
「バンダイこどもひろば」より
バンダイは70年以上前に浅草を拠点(きょてん)に出発し、今なお発展を続けています。
駒形1丁目、駒形2丁目、蔵前2丁目、蔵前3丁目、そして寿(ことぶき)3丁目あたりは、かつて「浅草黒船町(くろふねちょう)」と呼ばれていました。関東大震災後(かんとうだいしんさいご)の東京復興計画(ふっこうけいかく)による地名再編(さいへん)のため、1934年(昭和9年)に消えた町名です。
寿4丁目には、「黒船」の名称(めいしょう)が付く黒船神社(じんじゃ)も残っています。

『下谷(したや)・浅草町名由来考(ゆらいこう)』には次のように記(しる)されています。
本町の起立年代(きりつねんだい)は不詳(ふしょう)である。寛文図(かんぶんず)に「くろ舟丁」という記入があるので、寛文(かんぶん)の頃(1661~1673)には町のあったことが知れる程度だ。
黒船町の命名由来(めいめいゆらい)は諸説紛々(しょせつふんぷん)である。
『下谷・浅草町名由来考』(編集兼発行人:東京都台東区)
どんな命名の説かと言うと、次のようなものです。
・オランダの黒船が接岸(せつがん)した。
・黒船が難破(なんぱ)し、その機具(きぐ)をここに置いた。
・徳川家康(とくがわいえやす)が造った唐船(からふね)を繫留(けいりゅう)した。
・黒船の船長の宿舎(しゅくしゃ)がこの地にあった。
いずれにせよ、隅田川沿(ぞ)いでもあり、黒船と何らかの関(かか)わりがあったのでしょう。
黒船と言うと、幕末(ばくまつ)に来航(らいこう)したアメリカ艦隊(かんたい)が有名です。1853年とその翌年に、今の神奈川県に姿を現したペリーの黒船です。北海道の函館(はこだて)、静岡県の下田(しもだ)にも寄港(きこう)しています。
ペリーが乗船(じょうせん)していた船の名前は「サスケハナ」号。まるで、「佐助(さすけ)」「花(はな)」のようです。
日本の男女の名前を思い浮かべてしまいますが、アメリカの原住民の言葉で「広くて深い川」を意味するそうです。
その黒々(くろぐろ)とした威圧感(いあつかん)は、幕末における歴史の流れを一気に加速させるのに十分なものだったでしょう。
その影響力(えいきょうりょく)の大きさについて、デイヴィッド・ピリング著(ちょ)『日本――喪失(そうしつ)と再起(さいき)の物語』(訳:仲達志)に次のような一節があります。ちなみに同書の副題には「黒船、敗戦、そして3・11」とあり、近現代(きんげんだい)日本の転換点(てんかんてん)が論述(ろんじゅつ)されています。
大半(たいはん)はもうもうと煙(けむり)を吐(は)く巨大(きょだい)な海の怪物(かいぶつ)を見て、その圧倒的(いあつてき)な火力の前に恐れおののくばかりであった。
日本は神々の国かもしれないが、西洋人たちは神国日本でさえ太刀打ち(たちうち)できないほどの高度な技術力を有していたのだ。
ペリー来日が引き金となって明治維新(めいじいしん)が起きるまでには、わずか15年しか要さなかった。
デイヴィッド・ピリング『日本――喪失と再起の物語 黒船、敗戦、そして3・11』(訳:仲達志、早川書房)

黒船は、そもそも黒い船の総称(そうしょう)です。
木造船(もくぞうせん)であり、船体(せんたい)の木材(もくざい)の腐食(ふしょく)を防(ふせ)ぐ目的でコールタール(油状の液体)が塗(ぬ)られていました。それで、色が黒い船となったのです。
もちろん、神奈川県の浦賀(うらが)などに来航した幕末のペリー艦隊だけを「黒船」と呼ぶわけではありません。既(すで)に1500年代の室町時代(むろまちじだい)には、こうした呼称(こしょう)が用(もち)いられていました。
浅草黒船町も、幕末の黒船とは関係なく、『下谷・浅草町名由来考』の記述(きじゅつ)にある通り、江戸時代初期(えどじだいしょき)にはもう地名として成立していたようです。
ところで、「黒」は「腹黒い(はらぐろい)」や「黒幕(くろまく)」など、悪いイメージが付きまといがちです。
「腹黒い」は、心の中に何か悪い計画を隠(かく)しているという意味です。
「黒幕」と言えば、表には出ないで隠れた場所から命令する悪いボスのイメージです。
「面黒い(おもくろい)」という言葉もあります。最近はあまり聞きません。
「面(おも/おもて)」は顔のことです。だから、顔が白く、ぱっと明るくなるようなことが、「面白い(おもしろい)」ことです。
蔵前2丁目交番(こうばん)の横にある「厩橋際公衆(うまやばしきわこうしゅう)トイレ」は、まさに顔も白くて「面白い」造形(ぞうけい)です。
台東区の「まちかど賞」受賞作品だそうで、通る人々の目を引く傑作(けっさく)だと思います。

「面黒い」は「面白い」から生まれた言葉です。意味は、「面白い」と同じです。つまり、「面白い」の「白」を「黒」に変え、しゃれて「面白いこと」を「面黒いこと」と言ったのです。一種の言葉遊びでしょう。
ところが、だんだん、「黒」という悪いイメージに引っ張られたのか、「面白い」の反対、すなわち「面白くない」「つまらない」の意味でも、この「面黒い」が使われるようになったのです。
辞書(じしょ)にも「面黒い」は、「おもしろいこと」「つまらないこと」の両方の意味が掲載(けいさい)されています。
なんだか、とてもややこしいです。なので、あまり使われないのでしょう。
今回の文章、面黒いでしょうか?

