浅草をめぐる日本語情緒<13> 言問通り(ことといどおり)――歴史を超え時代を問い続ける

浅草国際学院の前を通る「言問い通り」
西浅草三丁目交差点。まっすぐ行くと言問橋へ

浅草をめぐる日本語情緒<13>

言問通り(ことといどおり)――歴史を超え時代を問い続ける

日本は西暦(せきれき)と元号(げんごう)を併用(へいよう)しています。今は2021年、令和(れいわ)3年です。

日本語の授業で元号の話をすると、興味(きょうみ)深そうに聞こうとする留学生が多いように感じます。

「令和の前は何ですか?」

すかさず「ヘイセイ(平成)」との答え。

「平成の前は?」

物知り顔の学生から「ショウワ(昭和)」と。

「昭和の前は?」

ちょっと自信なさそうに「タイショウ(大正)」という回答。

「大正の前は?」

小さな声で「メイジ(明治)」と返ってきました。

「では、明治の前は?」

「エド(江戸)?」

「江戸じゃありません。日本の有名な私立大学と同じ名前ですよ。」

「わかりません。」

「ケイオウです。慶応(義塾)大学の慶応です。慶応元年(がんねん)、2年、3年、慶応4年が明治元年です。」

こんなやり取りをしながら、留学生に日本文化の一端(いったん)を感じとってもらっています。

浅草生まれで「浅草を語る会」を立ち上げた鈴木としお氏の『句集(くしゅう) 言問(こととい)ばし』に、次の一句があります。

万緑(ばんりょく)の明治大正昭和かな

鈴木としお『句集 言問ばし』(台東区民新聞社)

鈴木氏は同句集の「あとがき」で、東京大空襲(とうきょうだいくうしゅう=1945年3月10日)に見舞(みま)われた言問橋(ことといばし)への思いを述べています。

予(かね)てより、私は戦争による犠牲(ぎせい)、特にこの東京大空襲による下町の犠牲者に対して、何時(いつ)か、レクイエムの意思を表したいと常に心に希(こいねが)っていた。本句集によって、やっと実現を果(は)たしたという次第(しだい)である。私の平和を愛する心を少しでもお汲(く)みとり頂(いただ)けたら幸(さいわ)いである。

鈴木としお『句集 言問ばし』(台東区民新聞社)
言問橋

元号が平成から令和へと変わる中、日本経済新聞の夕刊に『小説伊勢物語(しょうせついせものがたり) 業平(なりひら)』が連載(れんさい)されました。2019年、平成最後(平成31年)の年頭から始まった物語は、同年5月から令和における連載となりました。

執筆者(しっぴつしゃ)は作家の髙樹のぶ子(たかぎのぶこ)氏。同書は令和2年5月に刊行され、泉鏡花(いずみきょうか)文学賞、毎日芸術賞を受賞しました。

著者(ちょしゃ)は「あとがき」に、このように述(の)べています。

古典との関(かか)わり方として、私は現代語訳ではなく小説化で人物を蘇(よみがえ)らせたいと思ってきました。

現代小説にするには、現代の言葉と表現を用(もち)いるのが簡単で自然なことです。けれどその方法には抵抗があり、……。

私たち現代人は、現代にも通じる部分においてのみ、かの時代かの人間を理解し、表現しているのではないか。

髙樹のぶ子『小説伊勢物語 業平』(日経BP・日本経済新聞出版本部)

そして、様々な矛盾(むじゅん)を感じつつ、それらを克服(こくふく)して次のように断言(だんげん)しています。

平和の雅(みやび)を可能なかぎり取り込み、歌を小説の筋(すじ)の中に据(す)えていくために編(あ)み出したのが、この文体です。

そう、本書のつづり方は、著者が「編み出した文体」です。その試みは見事に成功しているのです。

時は1100年以上も遡(さかのぼ)る平安時代(へいあんじだい=794年~1185年)の前期。主人公とされるのは、天皇(てんのう)の孫である在原業平(ありわらのなりひら)。「伊勢物語」は王朝文学の傑作(けっさく)であり、日本人に長く読み継(つ)がれてきた歌物語です。当時、京の都(みやこ)に比(くら)べ、ひなびた印象(いんしょう)の関東へ行く「東下り(あずまくだり)」が有名です。

冒頭(ぼうとう)はこんな雰囲気(ふんいき)です。

春真盛り(はるまっさかり)の、大地より萌え出ずる(もえいずる)草々が、天より降(ふ)りかかる光りをあびて、若緑色(わかみどりいろ)に輝く春日野(はるひの)の丘(おか)は、悠揚(ゆうよう)としていかにも広くなだらか。

その斜面(しゃめん)を取り巻く樫(かし)や山桃(やまもも)の枝葉(えだは)を払い潜る(はらいくぐる)ようにして、勢い良く(いきおいよく)駆(か)け出してきた若い男ひとり、額(ひたい)を輝かせ頬(ほお)を汗で濡らした様(さま)が、若木の茎(くき)を剥(む)いたように匂(にお)やかでみずみずしい。

「萌え出ずる」「匂やか」「みずみずしい」

和語の柔(やわ)らかさを重(かさ)ねながら、時に「悠揚として」と漢語で文を引き締めています。

「枝葉を払い潜(くぐ)るように」

「若木の茎を剥(む)いたように」

術語(じゅつご)を形容する表現も流麗(りゅうれい)です。

東下りでは、隅田川(すみだがわ)まで来たところで、こんな文がつづられています。

大層(たいそう)大きな川で、隅田川と申(もう)すそうで。

川の辺(あた)りに、みな群(むら)がり座(ざ)して、都(みやこ)へと思いを馳(は)せております。

この川を渡れば、二度と都へ戻り帰ること叶(かな)わぬ心地(ここち)が致(いた)します。

舟で川を渡(わた)っていると、嘴(くちばし)と脚(あし)が赤く全体としては白い鳥が飛んできました。都では見たことのない鳥です。

船頭(せんどう)にその名を問(と)うと、

「これが、あの音(おと)にも聞こえる都鳥(みやこどり)です」

と応えます。

その時、船上で業平が歌を詠(よ)みます。

名(な)にしおはばいざ言(こと)とはむみやこ鳥(どり)

  わが思(おも)ふ人(ひと)はありやなしやと

小説では次のように歌を解釈(かいしゃく)しています。

その名前に都という名を背負(せお)っているのなら、都のことは良く知っているはず。ならば問いたい。私が思いを寄(よ)せている人は、健(すこ)やかであろうか、それともそうではないのか。

都鳥とは今で言うユリカモメのことだそうです。

ユリカモメ

「都鳥」という名前を聞いて歌にした業平の悄然(しょうぜん)たる思いが、行間(ぎょうかん)にあふれています。

この和歌から、「言問橋(ことといばし)」「言問通り(ことといどおり)」の名称が生まれました。

浅草国際学院は、この言問通り沿(ぞ)いにあります。

言問通りは、文京区の東京大学キャンパス前から奥浅草(おくあさくさ)を抜け、隅田川にかかる橋「言問橋」に至(いた)る4キロに及(およ)ぶ都道(とどう)で、東西に走っています。「都道139号環状(かんじょう)三号線」の一部です。

都バスの「奥浅草」停留所

「言問ふ(言問う=こととう)」とは、ものを言う意味の古語(こご)で、尋ねる(たずねる=聞く)場合にも、訪ねる(たずねる=行く/来る)場合にも使われました。

ちなみに、「訪ねる」は、目的をもってわざわざ行くことです。

例えば、日本にいる先生が、いつもメールでやり取りしている海外在住(かいがいざいじゅう)の学生に、こう言います。

「日本に来たら、必(かなら)ず私を訪ねてきなさい。」

一方(いっぽう)、「訪れる(おとずれる)」という言葉があります。同じ「行く/来る」という意味ですが、「訪れる(おとずれる)」は、目的は関係なく、移動(いどう)の事実を表します。

「春が訪れる。」「ついにチャンスが訪れた。」と言います。

何と言っても「言問通り」は、歴史(れきし)と情愛(じょうあい)に満(み)ちたロマンの薫り漂う(かおりただよう)名高い街路(がいろ)です。この道を、毎日のように歩く私たちにとって、それは大変に誇(ほこ)り高く、意義深(いぎぶか)いことだと感じています。

小説は続きます。

川風(かわかぜ)は流れと同じく、上(かみ)より下(しも)へと来て、さらに海の方へと行きて戻(もど)りません。

風も流れも、元(もと)には返らず、この舟に乗る皆もまた、都へは戻れぬと思えば、それぞれに袖(そで)を顔に当て、涙(なみだ)を拭(ぬぐ)うのでした。

(中略)

隅田川を渡ると、心の色が変わります。都鳥さえ鳴(な)き追い来る(おいきたる)ことはありません。

作家の筆致(ひっち)は最後まで冴(さ)えわたっています。

晩年(ばんねん)の業平の世話(せわ)をしながら、返歌(へんか)にも適切(てきせつ)に応(おう)じる女性に、彼は言います。

「飽(あ)かず哀(かな)し……どこまでも満ち足り(みちたり)てはおらぬ」

業平は、飽かぬことを哀しと思いつつも、それが生きることの有り難(ありがた)さだと、深く感じ入り目を閉じるのでした。

恋の道も歌の道も、飽き足らぬほど追い求めてきたが、哀しいほど満ち足りはしない。だが、それこそ人生そのもの――そんな情緒(じょうちょ)を物語っているのでしょうか。

この女性、「伊勢(いせ)」と呼ばれています。彼女に業平は自分の歌の数々を預(あず)け、こう言います。

そなたの才(さい)にて、歌物語など綴(つづ)るのも良いでしょう。

「伊勢物語」の名の由来です。

「言問散歩 KOTOTOI WALK」というフリーマガジンがあります。

ホームページに「東京随一(ずいいち)の美しい名とされる【言問通り】。【言問通り】の再発見(さいはっけん)からグルメ、イベントなどリアルタイム情報を発信。」とある通り、グルメから文化施設(ぶんかしせつ)まで様々な情報を紹介(しょうかい)しています。

「Vol.06 2020冬号」では、コロナ禍(か)で苦境(くきょう)にある飲食店(いんしょくてん)を応援(おうえん)しようとの心意気(こころいき)が強く感じられます。

コロナは色々な場面、場所、人に影響(えいきょう)を投げかけます。

この業平ゆかりの言問通りを、東京オリンピック開催直前に、聖火(せいか)ランナーが駆け抜け(かけぬけ)、浅草国際学院の前にもその雄姿(ゆうし)を現(あらわ)す予定でしたが、公道走行(こうどうそうこう)が中止となったことは実に残念でした。

様々な歴史を経(へ)て、今なお時代を問い続ける浅草の街を、今日も人が、車が行き交(か)い、鳥が飛び交(か)っています。

言問橋西交差点。「319」は 「都道139号 」を表す
隅田川に架かる言問橋
夜の言問通り