浅草をめぐる日本語情緒<15> 金竜(きんりゅう)、白鷺(しらさぎ)が舞(ま)う――活気(かっき)あるお祭(まつ)りの開催(かいさい)を願(ねが)い待(ま)つ

浅草寺で催された金竜の舞(2021年10月18日)
浅草ビューホテル内のパン店「穂乃華(ほのか)」の袋には浅草周辺の風景がデザインされ、年中行事が記載されている

浅草をめぐる日本語情緒<15>

金竜(きんりゅう)、白鷺(しらさぎ)が舞(ま)う――活気(かっき)あるお祭(まつ)りの開催(かいさい)を願(ねが)い待(ま)つ

浅草寺(せんそうじ)の山号(さんごう)は「金竜山(きんりゅうざん)」です。寺院と山岳(さんがく)とは古くからつながりがあり、山号を寺院名の前に冠(かん)するのが習(なら)わしとなっています。「金龍山浅草寺」――これが正式名称です(浅草寺のホームページには「龍」の字を使用)。

10月18日、浅草寺で金竜の舞(まい)が催(もよお)されました。

金竜の舞の「金竜」は山号に由来(ゆらい)するとのことです。

浅草国際学院のすぐ近くにある小学校は金竜小学校。この校名も浅草寺の山号から命名(めいめい)されたそうです。

金竜小学校前交差点

金竜の舞は例年3月18日にも披露(ひろう)されます。そのほか、寺舞(じまい)として、福聚(ふくじゅ)の舞(七福神の舞、宝の舞)、白鷺(しらざぎ)の舞があります。

浅草は浅草寺の行事(ぎょうじ)をはじめ、多くの祭事(さいじ)があり、年中(ねんちゅう)行事がいっぱいです。

浅草ビューホテルにあるパンのお店「穂乃華(ほのか)」では、パンを包む袋に浅草の年中行事が記載(きさい)されています。

しかし、今はコロナ禍(か)。花火大会も中止が続いています。早く収束(しゅうそく)し、以前の活気(かっき)を取り戻してほしいと願うばかりです。

浅草国際学院では、『できる日本語』シリーズ(アルク)を教科書として使用しています。赤い表紙が初級、黄色が初中級(しょちゅうきゅう)、青が中級です。

同シリーズは絵で場面を提示(ていじ)し、学生にどんな日本語を使えばいいか考えさせます。学生と教師がコミュニケーションをとりながら授業を進めていける教科書です。

その初級の例文に「浅草へ行きます。」「浅草でお祭りを見ます。」という文が出てきます。

浅草へ行きます。

浅草でお祭りを見ます。

できる日本語教材開発プロジェクト著・嶋田和子監修『できる日本語 初級』(アルク)

この文を目にするたびに、浅草は「お祭りの街(まち)」だということを改(あらた)めて感じ、学生にもそのことを強調します。浅草は本当に日本文化、日本情緒(じょうちょ)を身近に体験できる街です。これほど、日本語学習の環境(かんきょう)に適(てき)した街は他にないのではと自負(じふ)しています。

実際、正月の初詣(はつもうで)から、5月には江戸三大祭りの一つである三社祭(さんじゃまつり)、7月の朝顔(あさがお)祭り、ほおずき市(いち)、隅田川(すみだがわ)花火大会、8月のサンバカーニバル、11月の酉(とり)の市、そして12月の羽子板(はごいた)市に至(いた)るまで、浅草周辺では季節ごとにお祭り三昧(ざんまい)です。

お祭りの話を書いていると、今にも「わっしょい」という掛け声が聞こえてきそうです。

この「わっしょい」ですが、「和(わ)して背負(せお)え」(和背負え=わしょえ)が語源とする説(せつ)もあれば、「和一処/和一緒」(わいっしょ)説もあるようです。いずれも、日本を意味する「和」がキーワードになっています。

「祭り」は動詞「祭(まつ)る」の連用形の名詞化です。日本語教育で言うところの「ます形」の「ます」を取った形です。

では「祭る」とは何でしょうか。神仏(しんぶつ)など超越的(ちょうえつてき)な存在に何かを差(さ)し上げることだとされています。

何を祭る(差し上げる、奉る=たてまつる)のかと言うと、食べ物であったり、音楽や踊(おど)り、舞であったりします。

何のために祭るのかと言うと、豊作(ほうさく)を祈(いの)ったり、災害(さいがい)の回避(かいひ)や世の安穏(あんのん)を祈願(きがん)したり、自身や家族の健康を願ったり、などなどです。

民俗(みんぞく)学者の折口信夫(おりぐちのぶお)は「村々の祭り」という論考(ろんこう)の中で、次のように指摘(してき)しています。(現代語に改めました)

「まつり」の語原(語源)が、あまりに解(と)き散(ち)らされて、よしあしの見さかいもつきかねるほどになっている。

「まつる」という語が正確に決まらないのは、古代人の考え方が呑(の)み込めないからだと思う。

折口信夫「村々の祭り」『折口信夫全集 第二巻』(中央公論社)所収

そして、折口は、神の代理者の存在を重視(じゅうし)し、神の言葉の内容を具体化することに、「まつる」の意義があることを、古い用語例から見いだしています。その語根(ごこん)は「まつ」であり、神の言葉が実現(じつげん)した状態が「またし」(全し)だと述べています。

折口は歌人(かじん)でもあり、国文学者(こくぶんがくしゃ)でもあったので、実に深く洞察(どうさつ)しています。

一方、同じく民俗学者の柳田国男(やなぎだくにお)は、『祭祀習俗(さいししゅうぞく)辞典』で、「日待ち(ひまち)」という言葉を取り上げ、次のように記述(きじゅつ)しています。

日待ち。特定の仲間(なかま)や集団(しゅうだん)が一年中のきまった日に一夜を眠らないで神をまつり明かすこと。

ヒマチのマチは古くからある言葉で、元(もと)の意味は「おそばにいる」ということで、神のそばにいてともに夜を明かすことであったが、後にはそれを日や月の出るのを「待つ」ことだと考えるようになって……。

柳田国男『祭祀習俗辞典』(河出書房新社)

どうやら「祭る」と「待つ」には深い関係があったようです。まあ、確かにお祭りは待ち遠しいものですから。

11月の七五三(しちごさん)で子どもたちを祝(いわ)うのを心待ちにしている家族も多いでしょう。

七五三に付き物の「千歳飴(ちとせあめ)」は浅草が発祥(はっしょう)とも言われています。

永田久著『年中行事を「科学」する』には次のようにあります。

松竹梅(しょうちくばい)や鶴亀(つるかめ)をあしらった袋には、紅白(こうはく)の棒飴(ぼうあめ)が入っている。飴のどこを切っても金太郎(きんたろう)の顔が出てくるものもある。めでたずくめの千歳飴は、宝永(ほうえい)の頃(一七〇五~一七一〇)江戸浅草で、豊臣残党(とよとみざんとう)の一人、平野陣九郎(ひらのじんくろう)が甚右衛門(じんえもん)と改名(かいめい)して飴屋(あめや)となって始めたものと言われている。

永田久『 年中行事を「科学」する』 (日本経済新聞社)

「祭政一致(さいせいっち)」という言葉が示す通り、かつて政治は「まつりごと」であり、宗教性を帯(お)びていました。しかし、今の日本は「政教分離(せいきょうぶんり)」です。そして、いわゆる「お祭り」はイベントとして多くの人が楽しむ地域行事へと変化しています。

動詞の連用形から名詞が生まれるケースは非常(ふじょう)に多いです。

「仕似す(しにす)」という言葉は今はほとんど使われませんが、仕(つか)えて真似(まね)するという意味です。この「しにす」の名詞化が「しにせ」。漢字は当て字で「老舗(しにせ)」です。代々続く由緒(ゆいしょ)正しい店のことを言います。

老舗の元意(がんい)を知ると、家業(かぎょう)を子が引き継ぎ、親を真似て商売に精(せい)を出し、発展(はってん)させてきたイメージが見えてきます。

浅草にも老舗が多くあります。どじょう屋、うなぎ屋、牛鍋(ぎゅうなべ)屋、天ぷら屋などの老舗はもちろん、日本最古のバーも健在(けんざい)です。

仲見世(なかみせ)通りでよく見かける「食べ歩き」も動詞の名詞化です。浅草には、「祈(いの)り」「願(ねが)い」「祝(いわ)い」があり、「学(ま)び」も「遊(あそ)び」も「笑(わら)い」もあります。

観光客(かんこうきゃく)が世界各国から訪(おとず)れてみたいという「憧(あこが)れ」が浅草にはいっぱいあります。

11月には七五三で子どもたちを祝う