浅草をめぐる日本語情緒<19> 「ホッピー通り」は結構(けっこう)やばいって評判(ひょうばん)?

にぎわいを取り戻してきた「ホッピー通り」

浅草をめぐる日本語情緒<19>

「ホッピー通り」は結構(けっこう)やばいって評判(ひょうばん)?

神谷(かみや)バーから、雷門通り(かみなりもんどおり)を国際通りに向かって歩く途中(とちゅう)を右折(うせつ)していくと、「ホッピー通り」と呼ばれる飲食店街(いしょくてんがい)に出ます。

ホッピーと煮込み(にこみ)料理が名物(めいぶつ)で、安くおいしいものが堪能(たんのう)できます。コロナの影響(えいきょう)による自粛等(じしゅくとう)で人出(ひとで)が少なかったのですが、ようやく、そのにぎわいを盛り返し(もりかえし)てきました。

ホッピーとはビール味の清涼飲料水(せいりょういんりょうすい)の一種です。焼酎(しょうちゅう)で割(わ)ったものもホッピーと言われます。

雷門通り

ホッピー通りの、とある店の前に背広姿(せびろすがた)とTシャツ姿の男性二人。どうやら、背広がおごると言うので、Tシャツが馴染み(なじみ)のお店に連れてきたようです。

こんな会話(かいわ)が聞こえてきそうです。

背広が言います。

「結構(けっこう)なお店を知ってるね」

お店でホッピーを飲みながら食事をしていると、背広がまた言います。

「女の人も結構多いね」

ホッピーの焼酎を10回も割ったTシャツが、お店の人から「お代(か)わりはいかがですか?」と聞かれました。背広が代(か)わってそれに答えます。

「いえ、もう結構です」

そして、Tシャツが残念(ざんねん)そうに言います。

「もう少しいいじゃないか。結構な給料(きゅうりょう)もらってるだろうに、ケチだな」

背広がたしなめます。

「結構飲んだじゃないか。さあ、もう出よう」

背広がレジで会計(かいけい)をすませました。それを見ていたTシャツが言いました。

「結構な勘定(かんじょう)だったね。ご馳走様(ちそうさま)」

この会話で、二人は6回「結構」と言いました。

①結構(けっこう)なお店を知ってるね。

②女の人も結構多いね。

③いえ、もう結構です。

④結構な給料もらってるだろうに、ケチだな。

⑤結構飲んだじゃないか。

⑥結構な勘定(かんじょう)だったね。

「結構」はいろいろな意味があります。会話や文章の前後から、どんな意味かを考える必要があります。

最初に言った「結構なお店」は表面的には「いいお店」の意味です。でも、「もっといいお店はなかったのか、という皮肉(ひにく)も込(こ)められています。

2番目の「女の人も結構多い」は、「思ったよりもかなり多い」と言いたいのです。

3番目の「もう結構です」は「必要ない、いらない」ということです。

4番目の「結構な給料」は、「高い給料」。

5番目の「結構飲んだ」は、「それなりに多く飲んだ」という感じでしょうか。

最後の「結構な勘定」は「意外に高い料金」を表します。

日本語学習者にとっては、使い方が結構難しいのですが、慣(な)れれば大丈夫です。

同じ言葉で反対の意味を表す言葉があります。

最近では、「やばい」。

「この服かわいい。超(ちょう)やばい。」と言えば、「すごくいい」の意味です。

「あの男の人、雰囲気(ふんいき)悪い。ちょっとやばそう。」と言えば、「いい感じではない。近寄(ちかよ)らないほうがよさそうだ」の意味です。

この服かわいい。超(ちょう)やばい。

あの男の人、雰囲気(ふんいき)悪い。ちょっとやばそう。

「やばい」は本来、危険(きけん)や不都合(ふつごう)なことが起こりそうな時に使う言葉です。

その悪い予感の気持ちが、良い方向へ極端(きょくたん)に逆(ぎゃく)に振(ふ)れて、興味(きょうみ)を引くことを表すようになり、反対の意味で使われるようになったのです。

「やばい」が流行(はや)った元(もと)は、浅草にあるという説(せつ)があります。

川端康成(かわばた・やすなり)の小説『浅草紅団(くれないだん)』に、こんなセリフがあります。

私と歩くのはヤバイ(危い)からお止(よ)しなさいって言うんだ。

川端康成『浅草紅団』(中公文庫)

カタカナで表記(ひょうき)されているので、著者(ちゃしゃ)も強調(きょうちょう)したかったことがうかがわれます。後(のち)にノーベル文学賞(ぶんがくしょう)を受賞(じゅしょう)した川端が小説に使用した言葉だということで、認知度(にんちど)が高まったようです。

ちなみにこの小説は、浅草を舞台(ぶたい)に不良(ふりょう)少年少女たちが織り成す(おりなす)人間模様(にんげんもよう)を描(えが)いた作品(さくひん)です。

『浅草紅団』の新聞連載は昭和の初め。令和の今も変わらず楽しい浅草の街。チンドン屋の姿も

一方、悪い意味から良い意味へと変化(へんか)した言葉(ことば)もあります。

「すばらしい」は、かつては「ひどい」といった意味で使われていました。

元は「すばる(窄る)」という動詞(どうし)で、「せばまる(狭まる)」「ちぢまる(縮まる)」を意味したそうです。

「見すぼらしい」とも相通(あいつう)ずる言葉です。

それがやがて意味の変化をもたらしていったのです。

「しあわせ(幸せ)」という言葉は、元来(がんらい)「為し合わせる(なしあわせる)」で、「何かをして、それを合わせる」ことから、「めぐりあわせ(る)」といった意味になりました。

ですから、「しあわせが良い」「しあわせが悪い」と使っていました。

ところが時代を経(へ)て、「幸せ」と言えば、良い意味だけで使用されるようになったのです。

こうした本来は良し悪し(よしあし)の両方(りょうほう)に使われるべき言葉が、その言葉だけで、良い意味にとられるものがしばしばあります。

あした天気になーれ。

「あした天気になーれ」の「天気」は「晴れ」を意味していることは明白(めいはく)です。「天気」には「良い天気」もあれば、「悪い天気」もあるのにです。

さわやかな好天の朝の入谷交差点

今、日本で評判(ひょうばん)のアニメは「鬼滅の刃(きめつのやいば)」ですね。

「評判(ひょうばん)」も、「良い評判」もあるし、「悪い評判」もあるはずです。しかし、「評判の……」と言えば、世間(せけん)で良いものとして取りざたされている、という意味合いを持ちます。

浅草国際学院も、「東京で評判の日本語学校」と評(ひょう)されるよう、努力(どりょく)していきます。