浅草をいろどる日本語模様(もよう)<3> 桃太郎(ももたろう)の黍団子(きびだんご)――「やる」? 「あげる」?

浅草をいろどる日本語模様<3>
桃太郎(ももたろう)の黍団子(きびだんご)――「やる」? 「あげる」?
浅草には老舗(しにせ)が多くあり、地元(じもと)の人々や観光客(かんこうきゃく)に喜(よろこ)ばれています。
老舗とは、創業者(そうぎょうしゃ)から代々(だいだい)、その経営(けいえい)のノウハウや精神(せいしん)を受け継(つ)ぎ、時代の荒波(あらなみ)を乗り越えて存続(そんぞく)しているお店のことです。今なお魅力(みりょく)を放(はな)っているお店が多いです。
どじょうと言えば「駒形(こまがた)どぜう」、鰻(うなぎ)と言ったら「鰻 やっこ」があり、その歴史200年以上の長きを誇(ほこ)る名店です。

ほかにも、天ぷらの「雷門(かみなりもん) 三定(さんさだ)」(1837年)、お茶の「壽々喜園(すずきえん)」(1848年)、もんじゃ焼きの「もすけ」(1871年)、芋菓子(いもがし)の「おいもやさん興伸(こうしん)」(1876年)、せんべいの「壱番屋(いちばんや)」(1885年)、すき焼きの「浅草今半(いまはん)」(1895年)などなど。いずれも、1800年代の創業です。




「おいもやさん興伸」と、最近ではメロンパンも好評の「壱番屋」は浅草寺(せんそうじ)の仲見世通(なかみせどお)りにあります。



「どじょう」は旧仮名遣(きゅうかなづか)いでは「どぢやう」と表記(ひょうき)していました。それを、開業(かいぎょう)5年後に火事にあった「駒形どぢやう」が、4文字は縁起(えんぎ)が悪いと考え、3文字で音が似(に)ている「どぜう」と看板(かんばん)にしたことから、「どぜう」が江戸(えど)時代に広まりました。1902年からどじょう料理専門店(りょうりせんもんてん)となった「どぜう飯田屋(いいだや)」も、それに倣(なら)っています。


昨年、創業150周年を迎(むか)えたお菓子屋(かしや)の「御菓子司(つかさ) 桃太郎(ももたろう)」も、そうした浅草を代表(だいひょう)する老舗(しにせ)の一つです。生醤油(きじょうゆ)で焼いた至(いた)ってシンプルな焼き団子(だんご)が人気商品(にんきしょうひん)です。
「御菓子司」の「司(つかさ)」は、専門職(せんもんしょく)であることを表しています。簡単(かんたん)に言えば「お菓子屋〇〇」ということです。
「桃太郎」は昔話(むかしばなし)の定番(ていばん)です。黍団子(きびだんご)が物語(ものがたり)の重要(じゅうよう)なアイテムとして出てきます。黍(きび)とは穀物(こくもつ)の一種で、「五穀豊穣(ごこくほうじょう)」(人が主食〈しゅしょく〉とする五つの穀物が十分に実〈みの〉ること)の「五穀」の一つとされています。
仲見世通りには、昔ながらの黍団子を実演販売(じつえんはんばい)している「浅草きびだんご あづま」があります。

物語の冒頭(ぼうとう)は、こうです。
むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。
おじいさんは山へ柴刈(しばか)りに、おばあさんは川へ洗濯(せんたく)に行きました。
おばあさんが川で洗濯をしていると、どんぶらこ、どんぶらこと、大きな桃が流れてきました。
「むかしむかし」は時を示し、「あるところに」は場所を提示(ていじ)しています。日本語は、「時」、そして「場所」という順番(じゅんばん)が聞いて分かりやすいのです。
「おじいさんとおばあさんが」というように「が」を使っていることで、登場人物(とうじょうじんぶつ)が初出(しょしゅつ)であると分(わ)かります。
「おじいさんは山へ……」「おばあさんは川へ……」の「は」は2度目の登場だからです。また、「おじいさん」と「おばあさん」を対比(たいひ)している「は」とも言えます。
「おばあさんが川で洗濯をしていると……」で、また「が」が使われていますが、これは、従属節(じゅうぞくせつ)の中だからです。
日本語のルールにきちんと則(のっと)っています。
「どんぶらこ」という擬態語(ぎたいご)もあります。物が水に浮(う)かんだり沈(しず)んだりして漂(ただよ)っている様子(ようす)です。
昔話は格好(かっこう)の日本語学習教材(がくしゅうきょうざい)です。
むかしむかし:時 → あるところに:場所
おじいさんとおばあさん「が」:初出の登場人物は「が」
おじいさん「は」山へ……おばあさん「は」川へ……:2度目の登場は「は」。もしくは対比の「は」
おばあさん「が」川で洗濯をしていると……:従属節の中では「が」
童謡(どうよう)の「桃太郎」も日本人の多くが子どものころから親(した)しんでいる歌です。
【1番♪】
桃太郎さん 桃太郎さん
お腰(こし)につけた黍団子(きびだんご)
一つわたしに下(くだ)さいな
「下さないな」と、桃太郎にお願いしているのは、犬、猿(さる)、雉(きじ)です。
桃太郎が答えるのが2番です。

【2番♪♪】
やりましょう やりましょう
これから鬼(おに)の征伐(せいばつ)に
ついて行くならやりましょう
一緒(いっしょ)に鬼と戦うのなら、黍団子を与(あた)えようと、桃太郎が答えたのです。
筆者(ひっしゃ)は昭和世代(しょうわせだい)ですが、子どものころ、2番の冒頭を「あげましょう あげましょう」と歌っていました。周囲(しゅうい)の誰(だれ)もがそう歌っていたと記憶(きおく)しています。
ところが、今は「やりましょう やりましょう」です。
それで調(しら)べてみたところ、1911年の発表当時(はっぴょうとうじ)、原詩(げんし)は「やりましょう やりましょう」でした。
これは、敬語(けいご)の問題です。
「あげる」は「やる」の謙譲語(けんじょうご=敬語の一種)です。目下(めした)の家来(けらい)に「あげる」を使うのは、日本語として不適当(ふてきとう)だという判断(はんだん)で、「やる」に戻(もど)したようです。
犬にエサをやる。
孫(まご)に小遣(こづか)いをやる。
花に水をやる。
ですが、それなら、なぜ後から、「あげる」と歌われるようになったのでしょうか。
「~ましょう」という丁寧語(ていねいご=敬語の一種)を使っているのだから、その語感に合わせて「あげる」にしたのでしょうか。
言葉は丁寧になっていく傾向(けいこう)があるのは確(たし)かです。
最近では、「孫に小遣いをあげる」「花に水をあげる」という言い方を許容(きょよう)する人も増えています。「あげる」が美化語(びかご=丁寧語の一種)になっているのです。
それでも、言葉の揺(ゆ)れを危惧(きぐ)する人たちが、巷間(こうかん)歌われていた「桃太郎」の歌詞(かし)に注文(ちゅうもん)をつけ、本来の言い方である「やる」に戻したのかもしれません。
【3番♪♪♪】
行きましょう 行きましょう
あなたについて何処(どこ)までも
家来(けらい)になって行きましょう
「家来」とありますから、やはり目上と目下の言葉のやり取りは明確(めいかく)にしたほうがいいのでしょう。
実際(じっさい)は6番まであります。作詞者(さくししゃ)は不詳(ふしょう)です。作曲者は「故郷」(ふるさと)」「紅葉(もみじ)」など多くの童謡を手掛(てが)けた岡野貞一(おかの・ていいち)です。岡野が卒業(そつぎょう)した東京音楽学校(今の東京藝術大学音楽部)は、浅草国際学院から歩いて行ける上野公園にありました。