浅草をいろどる日本語模様(もよう)<2> 年頭(ねんとう)には「書き初め」?「書き染め」?

看板の字体も独特な「書道博物館」

浅草をいろどる日本語模様<2>

年頭には 「書き初め」?「書き染め」?

毛筆体でユーモアあふれる館内撮影禁止のお願い

正月(しょうがつ)の風物詩(ふうぶつし)に書き初(ぞ)めがあります。

浅草神社(あさくさじんじゃ)では例年(れいねん)1月3日に小学生を対象(たいしょう)とした書き初め教室が行(おこな)われます。

台東区(たいとうく)の小中学校では冬休みの宿題(しゅくだい)に書き初めがあるそうです。

区内には区立書道博物館(くりつしょどうはくぶつかん)があり、書道専門店(せんもんてん)も多いため、児童(じどう)・生徒(せいと)に伝統文化(でんとうぶんか)の継承(けいしょう)と地域(ちいき)文化への理解促進(りかいそくしん)のためです。

1930年創業(そうぎょう)の、都内で唯一(ゆいいつ)、硯工房(すずりこうぼう)を有(ゆう)する書道用具専門店「宝研堂(ほうけんどう)」もあります。

同店4代目の青栁貴史(あおやぎ・たかし)氏は浅草の出身(しゅっしん)で、製硯師(せいけんし)として幅広(はばひろ)く活躍(かつやく)しています。

青栁貴史氏は自著(じちょ)で、3代目である青栁彰男(あおやぎ・あきお)氏が硯についてこんな風(ふう)にインタビューに答えているのを紹介しています。

書道をやる方(かた)もそうでない方も、値段(ねだん)は高くなくていいから、何か自分で持ってみて、飾(かざ)ったり、磨(みが)いてみたり、墨(すみ)を摺(す)ったり、書いてみたり、その雰囲気(ふんいき)全部を楽しんでもらえるといいですよね。

青栁貴史『製硯師』(天来書院)
書道用具専門店のしにせ「宝研堂」

1月5日には「第57回全日本書初め大展覧会(だいはくらんかい)」が日本武道館(ぶどうかん)で開催(かいさい)され、翌(よく)6日には「第11回全国青少年書き初め大会」が国立(こくりつ)オリンピック記念青少年総合センターで行われました。

書き初めの伝統は、令和(れいわ)の今も息(いき)づいています。

浅草国際学院でも、課外活動(かがいかつどう)として書道を体験(たいけん)します。

慣(な)れない毛筆(もうひつ)を手に難儀(なんぎ)しながら書き上げた作品(さくひん)を手に、学生たちは実に誇(ほこ)らしげでした。

留学生の作品

その年に「初(はじ)めて」「書く」のだから、「書き初め」なのですが、筆者(ひっしゃ)は子どものころ、「かきぞめ」を「書き染(ぞ)め」だと勘違(かんちが)いしていました。半紙(はんし)に墨(すみ)で字で染(そ)めるイメージだったからです。

それにしても、「書き初め」は、「かきはじめ」ではなく、「かきぞめ」なのは、どうしてなのでしょうか。

「初める」を「そめる」と読むのは、同じ読み方(かた)の「染める」と相通(あいつう)ずるものがあるからではないか、との説(せつ)があります。

事業(じぎょう)など何かを手掛(てが)ける、すなわち始める際(さい)には、「~に手をそめる」という表現(ひょうげん)を使う時があります。

「染める」は染料(せんりょう)が布(ぬの)などに染(し)み込(こ)み、定着(ていちゃく)することです。

初めて見て、恋心(こいごころ)を抱(いだ)き、その思いが体中(からだじゅう)染(し)みわたっていく。それが「見初める」(みそめる)です。

そして、思い人(びと)の色(いろ)に自身(じしん)が染(そ)まっていく。そうやって二人の男女が馴(な)れ親(した)しんでいき、馴染(なじ)んでいく。結婚(けっこん)に至(いた)った時の、最初のきっかけが「馴れ初め」(なれそめ)です。

見初める(みそめる)

馴れ初め(なれそめ)

ところで、「始め」(はじめ)には「終わり」が付きものです。

授業(じゅぎょう)を始めたら、一定(いってい)の時間が過(す)ぎると終わります。

一方、「初め」(はじめ)は、やがて定着し、残(のこ)っていくものが多い。

日本で初めて地下鉄(ちかてつ)が通(とお)ったのは、上野と浅草の間です(1927年)。今年12月で95年になります。今やすっかり定着し、なくてはならない交通網(こうつうもう)です。

「書き初め」も、半紙に認(したた)めた自分の思いを心にも染(し)みわたらせて定着させ、決(けっ)して忘(わす)れまいとする気持ちが込(こ)められているように感じます。

そう考えると「書き染め」も、妥当(だとう)のような気がします。

書家(しょか)の武田双雲(たけだ・そううん)氏は、その著(ちょ)『書く力』で次のように綴(つづ)っています。

書くということは、言霊(ことだま)を凍結(とうけつ)させ、脳(のう)の中の記憶(きおく)の箱(はこ)にしまう作業(さぎょう)とも言えます。パソコンで書くよりも手で書いたほうが記憶に残りやすい。それは手書きの筆跡(ひっせき)に、書いたときの感情や「快(かい)」の信号(しんごう)が残るからです。ヴィジョンのみならず、そのときの気持ちまで、生き生きとした状態(じょうたい)で保存8ほぞん)できるのです。

武田双雲『書く力』(幻冬舎エデュケーション新書)

武田氏はまた、「ワクワク」する気持ちが大切(たいせつ)だと言って、このように記(しる)しています。

「ワクワク」よりも、「湧く湧く」(わくわく)と書きたい。楽しそうなことや感謝(かんしゃ)の気持ちが、外からやってくるのではなく、自分の内側からこんこんと湧(わ)き出してくるイメージです。

武田双雲『書く力』(幻冬舎エデュケーション新書)

年頭(ねんとう)に湧(わ)き出(い)でた気持ちを持ち続け、ワクワクとした一年を過(す)ごしていきたいものです。