浅草をいろどる日本語模様(もよう)<7>  ジャパンブルーの衝撃(しょうげき)――藍(あい)の染色文化(せんしょくぶんか)

浅草国際学院の近くにある「和なり屋」では染色体験ができる

浅草をいろどる日本語模様<7>

ジャパンブルーの衝撃――藍の染色文化

数年前のこと、中国からの留学生がこんなことを言いました。

「東京の空は青いです。びっくりしました。」

ん? 空はどこでも青いのでは?と思って、「中国の空は?」と聞きました。「北京(ぺきん)の空は青くないです。灰色(はいいろ)です。」

東京スカツリーが青空を背景(はいけい)に聳(そび)え立っている光景(こうけい)は、確かに気持ちがいいものです。

青空をバックにそびえ立つ東京スカイツリー

筆者(ひっしゃ)が北京を訪(おとず)れたのは、2011年の冬のことです。抜(ぬ)けるような青空の日があり、爽快(そうかい)だったのを思い出したので、意外に感じ、こちらがびっくりさせられました。

もっとも、最近(さいきん)は北京の大気汚染(たいきおせん)も改善(かいぜん)されているようです。

「ジャパンブルー」という言葉があります。

北京オリンピックが盛況(せいきょう)ですが、「ジャパンブルー」は夏期オリンピックのサッカー代表(だいひょう)を指(さ)す言葉として有名(ゆうめい)になりました。

しかし、もともとは伝統的(でんとうてき)な藍染(あいぞめ)の青色の素晴(すば)らしさに感動(かんどう)した人々の表現(ひょうげん)です。

明治期に日本に帰化(きか)した小説家(しょうせつか)の小泉八雲(こいずみ・やくも)ことラフカディオ・ハーンは、日本の第一印象(いんしょう)を次のように書き残(のこ)しています。

青い屋根(やね)の小さな家屋(かおく)、青いのれんのかかった小さな店舗(てんぽ)、その前で青い着物姿(きものすがた)の小柄(こがら)な売り子が微笑(ほほえ)んでいる。

見渡(みわた)すかぎり幟(のぼり)が翻(ひるがえ)り、濃紺(のうこん)ののれんが揺(ゆ)れている。

着物の多数を占(し)める濃紺色(のうこんしょく)は、のれんにも同じように幅(はば)を利(き)かせている。

ラフカディオ・ハーン「東洋の第一日目」『新編 日本の面影(おもかげ)』(池田雅之訳、角川ソフィア文庫)所収

「青い」「濃紺の」「濃紺色」という表現は、藍染(あいぞめ)の彩(いろど)りのことです。その「青」から受けた衝撃(しょうげき)を言葉にしています。江戸期から続く庶民(しょみん)に根付(ねづ)いた藍(あい)の染色文化(せんしょくぶんか)の輝(かがや)きです。

都営(とえい)浅草線の浅草駅から徒歩(とほ)4分、東京メトロ銀座線(ぎんざせん)の田原町(たわちょう)駅から徒歩2分、浅草通り沿(ぞ)いに染物店(そめものてん)「藍熊染料(あいくませんりょう)」があります。1818年に開業(かいぎょう)した漢方薬(かんぽうやく)の店「浅草・越中屋(えっちゅうや)」が淵源(えんげん)です。

藍熊染料

染物店を「紺屋」(こうや/こんや)と言いますが、藍熊染料は関東一円(かんとういちえん)の紺屋を相手(あいて)に商売(しょうばい)をしていたそうです。

浅草国際学院のすぐ近くには、「和(わ)なり屋」という藍染体験(あいぞめたいけん)ができるお店があります。店頭(てんとう)に掲(かか)げてある「和気藍愛(わきあいあい)」の藍染め文字が目を引きます。通常(つうじょう)は「和気藹々」(わきあいあい=仲良くなごやかなこと)ですが、「藍」と「愛」の字を使っています。

「出藍(しゅつらん)の誉(ほま)れ」とは、弟子(でし)が師匠(ししょう)を越(こ)えて立派(りっぱ)に成長(せいちょう)することです。「青は藍より出(い)でて藍より青し」とも言います。

青色は藍草(あいぐさ)という植物(しょくぶつ)からできるのですが、元(もと)の藍よりも鮮(あざ)やかな青になります。

これは、弟子が師匠を越えたという、単(たん)に結果(けっか)だけを意味(いみ)するわけではありません。

弟子の「努力(どりょく)に次(つ)ぐ努力」という精進(しょうじん)する過程(かてい)の大切(たいせつ)さも教えてくれています。

染(そ)めては乾(かわ)かし、染めては乾かし……という作業(さぎょう)を繰(く)り返(かえ)し、重(かさ)ね染(ぞ)めしていって、濃(こ)い青になっていきます。

色が薄(うす)いことを「浅い」と言い、濃いことを「深い」と言うことがあります。

その意味では、日本に来てまだ間(ま)がない「浅草」で学ぶ学生は、さしずめ藍草の染料がまだまだ浅く、自分の色が出ていないかもしれません。

日本語能力をさらに磨(みが)き、自分(じぶん)らしい深い色を国際社会(こくさいしゃかい)で出し切ってほしいと願(ねが)うばかりです。

才能(さいのう)の彩(いろど)り豊(ゆた)かな「出藍(しゅつらん)」の時を今かと待ち望(のぞ)んでいます。