鉾田(ほこた)をいろどる日本語模様<4> 塔ヶ崎十一面観世音の縁日

塔ヶ崎十一面観世音の縁日

鉾田市塔ヶ崎の塔明山観音寺(2023年1月21日)

東京・浅草の浅草寺(せんそうじ)は聖観世音菩薩(せいかんぜおんぼさつ)を本尊としています。

鉾田市にも、塔明山観音寺(かんのんじ)という寺院があり、塔ヶ崎十一面観世音(とうがさきじゅういちめんかんぜおん)が有名です。

毎年1月と8月の21日は縁日(えんにち)大法要祭が開かれ、多くの参拝者でにぎわいます。

一昨年、昨年と1月の縁日はコロナ禍(か)で中止だったため、正月の縁日は久しぶりの開催となりました。

「縁日」は、もともと神仏に縁のある日を言います。その日に参拝すると、より願いが叶(かな)いやすいと信じられていたのです。そこで、屋台などが立ち並ぶようになり、お祭りと同じような雰囲気(ふんいき)になって今日に至ります。

「縁」は音読みで「えん」。「あなたとは、ご縁がありますね。」という使い方をよく耳にします。関係がある、つながりがあるという意味です。

「縁」はまた、訓読みで「ゆかり」。やはり、関係がある、つながりがあるという意味です。

「縁もゆかりもない。」という慣用句があります。「縁も縁もない。」と書けば、「えんもえんもない。」と読まれかねないので、この場合、「ゆかり」は平仮名で書く場合が圧倒的です。

同じ意味の言葉を重(かさ)ねて「ない」ことを強調する表現です。

次のような似た強調の表現があります。

「夢も希望もない」

「根も葉もない」

「恥も外聞(がいぶん)もない」

「えん」も「ゆかり」も、「えにし」もある学生たち

さて、「縁者(えんじゃ)」と言えば、関係のある人、特に親戚(しんせき)の人を指します。

一方、「縁石(えんせき)」は、関係のある石ではありません。道路と歩道の境界にある石のことで、「車が縁石に乗り上げた。」と使われます。つまり、「縁石」とは、ふちにある石です。「縁」は訓読みで「ふち」「へり」とも読むのです。

つながりが生まれるのは、まずは周辺部分(ふち、へり)がきっかけだからでしょうか。

「下手の真ん中、上手の縁矢(ふちや)」ということわざがあります。弓の下手な人が的(まと)の中心を射抜(いぬ)くこともあれば、上手な人の矢が周辺に突き刺すこともあるという意味で、時と場合によって物事というのは予想外の結果になるということです。

音読みの「えん」すなわち漢語から、和語で訓読みの「えにし」が生まれたといいます。「えん」が「えに」と変化し、それに強調の助詞「し」がついて「えにし」です。

「奇(く)しき縁(えにし)で結ばれている。」など、少々古い表現です。

中国に「有縁千里来相会、無縁対面不相逢」という言葉があると聞きました。「縁有れば千里来たりて相会い、縁無ければ対面すれど相逢わず。」という意味です。

縁もゆかりも、えにしもあって、鉾田の地で出会った海外からの留学生たち。彼らの願い、夢もまたそれぞれです。一人ひとりに寄り添って応援していきます。