浅草をめぐる日本語情緒<7> 人力車(じんりきしゃ)のいなせな俥夫(しゃふ)たち


俥夫がさっそうと人力車を走らせる
浅草の街を行く人力車

浅草をめぐる日本語情緒<7>

人力車(じんりきしゃ)のいなせな俥夫(しゃふ)たち

浅草観光(かんこう)でよく見かける乗り物は、人力車(じんりきしゃ)です。

明治時代(めいじじだい)に普及(ふきゅう)し、アジアをはじめ海外(かいがい)にも輸出(ゆしゅつ)されました。英語の「rickshaw」は、人力車の「力車(りきしゃ)」が語源(ごげん)だそうです。

アメリカの地理学者(ちりがくしゃ)で、ジャーナリストでもあったエリザ・R・シドモアは、人力車で明治中期の日本各地(かくち)を旅(たび)しました。この乗り物について、彼女が次のように書き残(のこ)しています。

この可愛(かわい)らしい専用(せんよう)の私的玉座(してきぎょくざ)の乗り心地(ごこち)を肌(はだ)で感じた人は、きっと「こんな快適(かいてき)な乗物はほかにはない」と感激(かんげき)します。

『シドモア日本紀行 ―明治の人力車ツアー』(エリザ・R・シドモア著、外崎克久訳、講談社学術文庫)

私は以前、ベトナムのハノイを訪問(ほうもん)したとき、よく似(に)た乗り物に乗ったことがあります。「シクロ」と言います。シクロは人が後ろから自転車(じてんしゃ)のような乗り物で押す仕組み(しくみ)。ですから、車輪(しゃりん)を漕(こ)いでいる人の「はっ、はっ」という息遣い(いきづかい)が聞こえ、その運転(うんてん)の大変さに何だか恐縮(きょうしゅく)してしまった経験(けいけん)があります。

その点、人力車は、前に車夫(しゃふ)がいるので、そうした気遣い(きづかい)は不要です。

日本の人力車と同じで、ベトナムでも今は、シクロは通常(つうじょう)の乗り物というよりも、観光客用(かんこうきゃくよう)として活躍(かつやく)しているようです。

ベトナムのシクロ。運転する人は後ろでペダルをこぐ

「車夫」は「俥夫(しゃふ)」と表記することもあります。女性は何と言うのだろうかと思い、ネットで調べてみると、女性車夫などという言い方がありました。

大人(おとな)2人が乗る場合もある人力車。女性が引くのは、さぞや重くて大変なのでは?

でも、思ったより大変ではないようです。

シドモアがこんなことを言っています。

ところで、あなた方(がた)観光客(かんこうきゃく)が平(たい)らな道で人力車の運転(うんてん)を試(ため)してみると、最初の引っ張りが特に難(むずか)しい動作(どうさ)で、一度発進(はっしん)すれば車はひとりでに走ることが分(わ)かります。

『シドモア日本紀行 ―明治の人力車ツアー』(エリザ・R・シドモア著、外崎克久訳、講談社学術文庫)

運転のしやすさは、人力車の車体の構造(こうぞう)に秘密(ひみつ)があるようです。

齋藤俊彦著『人力車』という書籍(しょせき)に、四輪車と比(くら)べた二輪車の特性(とくせい)に関する、次のようなくだりがあります。

二輪車の場合には、一方(いっぽう)の車輪(しゃりん)の地面(じめん)に接(せっ)する点を中心にしてコンパスのように車幅(しゃはば)だけあれば直角(ちょっかく)に曲(まが)ることができる。そのために人力車は小まわりがきくわけである。そして、また、かじ棒(ぼう)が長くとりついているからテコの作用(さよう)でわずかな力(ちから)でかじが加減(かげん)できるという特長(とくちょう)もある。

「人力車を考える」(青木国夫)<『人力車』(齋藤俊彦著、クオリー)所収>

さらに、同書では、快適(かいてき)な乗り心地(ごこち)について次のように述(の)べている。

車夫はかじ棒を上下することによって、客の重心(じゅうしん)を適当(てきとう)に移動(いどう)させ、釣り合い(つりあい)を保(たも)ちながら走るような仕組み(しくみ)になっている。この特長は坂をのぼったり下ったりする時に発揮(はっき)される。どのような高級自動車(こうきゅじどうしゃ)でも、坂をのぼる時には乗客(じょうきゃく)は背8せ)に、そして下る時には前におしつけられるようになるけれども、人力車の場合には、車夫が坂をのぼる際にはかじ棒を下側へ、下るときには上に移動すれば、車上の客はほとんど水平に保(たも)たれ、よい乗り心地のままで坂を通過(つうか)することができるわけである。

「人力車を考える」(青木国夫)<『人力車』( 齋藤俊彦著、クオリー)所収>

とはいえ、長時間、人力車を引っ張り続けるのは重労働(じゅうろうどう)でしょう。しかし、実際(じっさい)には、ずっと走っているわけではありません。ゆっくり歩きながら、街のガイドをして進んでいくことが多いといいます。

なので、話術(わじゅつ)の巧み(たくみ)さが求(もと)められます。時には、外国人観光客のために英語力や中国力などが必要(ひつよう)となります。

「講談(こうだん)人力車」というのもあります。 俥夫の岡崎屋惣次郎(おかざきそうじろう)氏が「走る寄席(よせ)」(『THE下町情緒』交通新聞社)と言っている通り、講談調の言い回しで、浅草の歴史(れきし)や戦争被害(せんそうひがい)などを語りながら走るのです。

法被姿(はっぴすがた)も凛々(りり)しい、いなせな俥夫たち。人力車が通ると、つい目を向けたくなります。浅草の人力車は下町情緒(じょうちょ)にいろどりを添(そ)えて、道行く人の目を楽しませてくれます。

それは、人力車を引いている姿もそうですし、客待ちをしている雰囲気(ふんいき)もいいものです。雷門(かみなり)の近くには、駐車禁止(ちゅうしゃきんし)の道路標識(どうろひょうしき)の下に「人力車を除(のぞ)く」と書いているところもあります。客待ち人力車への街の配慮(はいりょ)がうかがえます。

「いなせ」は江戸時代(えどじだい)、魚河岸(うおがし)の若者の間に流行(はや)った髪型(かみがた)の名前に由来(ゆらい)しています。その髪型が「鯔(いな)」という魚の背(せ)びれに似(に)ていたことから「鯔背(いなせ)」。元気がよくて、かっこいい様子(ようす)を言います。

粋(いき)で、いなせな日本文化が、浅草には今も息(いき)づいています。その一つが、俥夫たちが時代とともに引き継(つ)いできた人力車のある街並み(まちなみ)なのです。

駐車禁止の道路標識に「人力車は除く)とある