浅草をめぐる日本語情緒<9> 災禍(さいか)、戦禍(せんか)、疫禍(えきか)乗り越え、やすらかにと祈(いの)る

浅草寺の五重塔(左)
浅草寺の神木。源頼朝が参拝の折にさした枝から発芽したと伝えられる

浅草をめぐる日本語情緒<9>

災禍(さいか)、戦禍(せんか)、疫禍(えきか)乗り越え、やすらかにと祈(いの)る

浅草寺(せんそうじ)の五重塔(ごじゅうのとう)は1923年(大正12年)の関東大震災(かんとうだいしんさい)では無事(ぶじ)でしたが、23年後、1945年(昭和20年)の第2次世界大戦における東京大空襲(だいくうしゅう)で焼失(しょうしつ)してしまいました。今見ることができる五重塔は戦後、再建(さいけん)されたものです。

先に紹介(しょうかい)した寺田寅彦(てらだとらひこ)は戦争について「人間の力で避(さ)けられなくはない」と言いましたが、戦前の指導者(しどうしゃ)が回避(かいひ)できなかった戦争で苦(くる)しめられたのは庶民(しょみん)でした。

東京大空襲・戦災資料(せんさいしりょう)センターのホームページに、その被害(ひがい)の大きさが出ています。

東京空襲の一般民間人(いっぱんみんかんじん)の被害全体についてみると、東京の区部が被害を受けた空襲は60回を越えます。確認された死者の遺体数(いたいすう)は約10万5400人になります。負傷者(ふしょうしゃ)は約15万人で、罹災者(りさいしゃ)は約300万人、罹災住宅戸数(じゅうたくこすう)は約70万戸です。

さらに、同ホームページには、次のようにも記(しる)されています。

画期(かっき)になったのは1945年3月10日の下町大空襲です。すでにアメリカ軍は、都市の中で、住宅が密集(みっしゅう)し人口密度(じんこうみつど)が高い市街地(しがいち)を、焼夷地区(しょういちく)1号に指定していました。東京は当時の深川区(ふかがわく)の北部と本所区(ほんじょく)・浅草区・日本橋区(にほんばしく)の大部分などが焼夷地区1号でした。

それは、地獄絵図(じごくえず)そのものでした。被害の数字は次のように記録(きろく)されています。

下町の大部分を焼き尽(つ)くしました。

罹災家屋(りさいかおく)は約27万戸、罹災者は約100万人でした。

焼死、窒息死(ちっそくし)、水死、凍死(とうし)など、9万5000人を超える方(かた)が亡(な)くなりました。

そして、当時の指導者への痛烈(つうれつ)な批判(ひはん)を書きとどめています。

踏(ふ)みとどまって消火しろとの指導が徹底(てってい)されて、火たたき、バケツリレーのような非科学的な消火手段(しょうかしゅだん)がとられ、火災(かさい)を消すことができないで、逃(に)げおくれた。

戦前に五重塔のあった場所には現在、石碑(せきひ)が立っています。また、近くの大きなイチョウの木には、幹(みき)に焦げ跡(こげあと)が残っており、関東大震災、東京大空襲の爪痕(つめあと)を今に伝えています。

戦災で焼失する前の五重塔があった場所

浅草寺内(せんそうじない)には「浅草大平和塔」が立ち、ノーベル物理学賞(ぶつりがくしょう)を受賞した湯川秀樹(ゆかわひでき)の筆による次の言葉を記(しる)した石碑(せきひ)があります。

みたまよ

 とこしえに

  安らかに

われら守らん

 世界の和

湯川秀樹

東京大空襲の際(さい)、大火に見舞(みま)われた言問橋(ことといばし)でも、多くの犠牲者(ぎせいしゃ)が出ました。

言問橋西詰め(にしづめ)の隅田公園(すみだこうえん=台東区浅草7丁目)には、当時の痛ましい出来事の記念石(きねんせき)として、「言問橋の縁石(えんせき)」が設置(せっち)されています。

そこには次のような言葉が刻(きざ)まれています。

あゝ

 東京大空襲

  朋(とも)よやすらかに

(言問橋の縁石)

「やすらかに」は、安心して、心配しないで――といった意味の形容動詞(な形容詞)です。

「~らか」という形容動詞は、ほかにも「きよらか」「あきらか」「おおらか」「なめらか」「ほがらか」などがあります。

広島(ひろしま)の原爆記念碑(げんばくきねんひ)にも「安(やす)らかに眠って下さい」と刻まれています。

詩人・石垣りん(いしがきりん)の詩に「挨拶(あいさつ) 原爆の写真(しゃしん)によせて」という作品があります。その最後は次のように結(むす)ばれています。

一九四五年八月六日の朝

一瞬(いっしゅん)にして死んだ二五万人の人すべて

いま在(あ)る

あなたの如(ごと)く 私の如く

やすらかに 美しく 油断(ゆだん)していた。

『石垣りん詩集 私の前にある鍋とお釜と燃える火と』「挨拶 原爆の写真によせて」(童話屋)

この詩について、万里小路譲(まりこうじじょう)著『孤高(ここう)の詩人 石垣りんへの旅』に、このように述べられています。

やすらかに、美しく――この逆説(ぎゃくせつ)は心に突き刺(つきさ)さる。事態(じたい)が悪化したあとでは手遅(ておく)れなのだ。つまり、やすらかで美しい状況は、一瞬にして裏返(うらがえ)る。

万里小路譲『孤高の詩人 石垣りんへの旅』(コールサック社)

戦争、震災を乗り越えてきた日本。今は今で、疫病(えきびょう)の猛威(もうい)にさらされ、以前の生活が一変(いっぺん)した感がありますが、油断(ゆだん)せず、今まさに踏ん張り時(ふんばりどき)です。

早くやすらかな気持ちが取り戻せますように。

浅草寺の神木の焼け跡。戦争、震災の爪痕を今に残している