コラム「浅草をめぐる日本語情緒(じょうちょ)」始めます

浅草を象徴する雷門
仲見世通りの和物雑貨店に浴衣の買い物客が

浅草をめぐる日本語情緒<1> 

浅草の風物(ふうぶつ)を紹介しながら、趣(おもむき)のある日本語について考えるコラム「浅草をめぐる日本語情緒(じょうちょ)」を始めます。どうぞお楽しみに。     (浅草国際学院長 野上英明)

「情緒」は感情のいとぐち

浅草は「東京の心臓(しんぞう)」であり、また「人間の市場(いちば)」である。

 浅草をこう評(ひょう)したのは、ノーベル文学賞作家の川端康成(かわばたやすなり)です。

浅草ほど、時代を刻々(こっこく)に、そして敏感(びんかん)に、大胆(だいたん)に反映している土地は二つとない。

『川端康成全集』第26巻「浅草」新潮社

『川端康成全集』第26巻「浅草」に、このようにも述べています。

そんな浅草にある日本語学校が、私たちの浅草国際学院です。

「下町情緒(したまちじょうちょ)」――浅草と言えば、こんなキャッチフレーズをよく耳にします。

「江戸情緒」という言葉も、よく聞きます。タウン誌『浅草においでよ!』(浅草商店連合会)では、浅草伝法院通り(でんぼういんどおり)商店会を「江戸情緒豊かな街並み」と紹介しています。

まさに、浅草は東京の下町の代表格であり、日本的風情(ふぜい)にあふれた街です。雷門(かみなりもん)がどーんとあって、仲見世通り(なかみせどおり)には日本文化の豊かさを感じさせる店が並んでいます。伝統的な神社仏閣(じんじゃぶっかく)もあり、季節ごとのお祭りも見逃(みのが)せません。住民の人情味(にんじょうみ)も格別(かくべつ)。

こうした環境から受ける刺激(しげき)を、目で、耳で、鼻で、肌で日々感じながら、日本文化に直接触(ふ)れ、日本語学習に生かしてほしいと、私たちは留学生たちの成長を願っています。

「情緒」の「緒」は「いとぐち」(糸口)。きっかけです。「情緒」を、感情が動くいとぐち、感情を呼び起こすきっかけだとすると、大事なことは、下町という外なる環境(かんきょう)に触(ふ)れて、内なる自身の心に何を感じるか、何を想像(そうぞう)するかではないでしょうか。

「情緒」の語(ご)はまた、動かされる心自体を指す場合があります。情緒不安定、情緒の乱れ、情緒豊(ゆた)かな子などと使う時の意味です。

「情緒とは何か」と聞かれ、「野(の)に咲(さ)く一輪のスミレを美しいと思う心」と答えた世界的な数学者がいます。岡潔(おかきよし)です。

情緒とは何か。

野に咲く一輪のスミレを美しいと思う心である。

岡潔

この大学者に影響を受けた、同じく数学者の藤原正彦(ふじわらまさひこ)氏が『国家の品格(ひんかく)』(新潮新書)に記(しる)しています。

岡潔は「きょうの情緒があすの頭を作る」と述(の)べ、教育における情緒の重要性を強調(きょうちょう)しました(『数学を志す人に』「春宵十話」平凡社)。

きょうの情緒があすの頭を作る。

岡潔 『数学を志す人に』「春宵十話」(平凡社)

そして、藤原正彦氏は「言葉なくして情緒はない」と断言しています。

言葉なくして情緒はない。

藤原正彦『国家の品格(ひんかく)』(新潮新書)

私たちは、浅草で日本語を学ぶ深い意義(いぎ)を感じてなりません。

浅草のあれこれをめぐって、言語、教育、風物詩(ふうぶつし)、歴史など様々ないとぐちから、日本語情緒をさぐっていきます。

伝法院通り名物・白波五人男の日本駄右衛門像