浅草をめぐる日本語情緒<2> 浅草が「鬼滅の刃」の聖地に!

コラボ企画のメイン会場である浅草ビューホテルアネックス六区

浅草をめぐる日本語情緒<2>

浅草が「鬼滅の刃(きめつのやいば)」の聖地(せいち)に!

浅草のあちこちに、炭治郎(たんじろう)、禰豆子(ねずこ)、無惨(むざん)……の姿が!

7月16日(金)、「『鬼滅の刃』×浅草コラボイベント」が始まりました。9月26日(日)まで、さまざまなイベントが予定されているようです。

人気アニメ『鬼滅の刃』に浅草の街が出てきます。大正(たいしょう)時代の設定なので、1910年代、20年代ということになるのでしょうか。仲見世通り(なかみせどおり)のにぎやかな夜の雰囲気(ふんいき)に、主人公が圧倒される様子が描かれています。

その背景となっている建物の佇まい(たたずまい)が、実によく再現されていると評判です。ですが、浅草を象徴(しょうちょう)する雷門(かみなりもん)の大提灯(ちょうちん)が、そこには描かれていません。大正の当時、雷門がなかったからです。それ以前に焼失(しょうしつ)されたまま、再建(さいけん)されていなかったのです。

1960年に松下電器(現パナソニック)の松下幸之助の寄付(きふ)により、再建されました。95年ぶりの設置だったそうです。

浅草は火災や震災、戦災を乗り越え、昔ながらの文化を受け継ぎつつ、さらに新しい文化を包み込み、見事に独特な文化の薫(かお)りを醸(かも)し出してきました。

『THE下町情緒(じょうちょ)』(交通新聞社)では、浅草を「大きな煮込み(にこみ)用の鍋(なべ)」にたとえ、次のように言っています。          

大鍋のなかには実に様々な具が顔を見せる。正統的観光物産ストリート・仲見世、東京最古の寺・浅草寺、庶民のパラダイス・花やしき、娯楽(ごらく)の聖地・六区ブロードウェイ、無法地帯の雰囲気漂(ただ)うダービー通り、そして祭りに花火、軒(のき)を連(つら)ねる飲食店、人情あふれる下町情緒……と〝浅草鍋″の具(ぐ)は、およそ数え切れないし、確認もし切れない。

『THE下町情緒』(交通新聞社)

上記に「娯楽の聖地」とありますが、浅草六区に立つ「浅草ビューホテルアネックス六区」が、今回のコラボ企画のメイン会場です。

初日の16日には多くのファンが同ホテルに足を運んでいました。

「聖地」の「聖」は「ひじり」と読むことがあります。これは「日知り(ひじり)」から来ているという説が有力だそうです。

太陽の運行をはじめ天文(てんもん)を知り、天候を知り尽くした賢人の意味でしょう。

また「火知り(ひじり)」という説もあります。火を管理する貴人の意味でしょうか。

いずれも、人々の尊敬を集める超人のイメージです。

「聖」(ひじり)

「日知り」(ひじり)

「火知り」(ひじり)

「聖地巡礼(じゅんれい)」と言えば、本来は宗教的な聖なる場所をめぐる行為です、それが今や、アニメなどの舞台(ぶたい)をファンが訪れるツァーへと意味が広がっています。

この「聖地巡礼」すなわちアニメの舞台探訪(たんぽう)について、次のような説明がなされています。

二〇〇〇年代前半から、アニメやマンガ、ライトノベルといった、コンテンツ(以下、オタク向けコンテンツと総称する)の舞台になった場所を巡(めぐ)る行動を「聖地巡礼」と称することが増えている。その特徴(とくちょう)は「映像化(えいぞうか)された作品(さくひん)を中心に、背景(はいけい)に描(えが)かれた風景(ふうけい)のもととなった場所を特定(とくてい)し、訪問(ほうもん)する」とまとめられる。

この行動自体(こうどうじたい)は一九九〇年代からみられたようだが、インターネット上の空間を中心として、オタク向(む)けコンテンツの舞台探訪の愛好者内(あいこうしゃない)で用(もち)いられていた「聖地巡礼」の語が徐々(じょじょ)に適用範囲(てきようはんい)を拡大(かくだい)し、一般(いっぱん)に浸透(しんとう)していったと考えられる。

聖地巡礼とは、万人(ばんにん)に開かれたビジュアル情報(じょうほう)から現実世界(げんじつせかい)を経(へ)て作品の個人的解釈(こじんてきかいしゃく)の深化(しんか)に至(いた)る、一連(いちれん)の過程(かてい)のなかに位置(いち)づけることが現象(げんしょう)といえるだろうか。

金木利憲「『聖地巡礼』発生の仕組みと行動」(大橋崇行・山中智省編著『小説の生存戦略 ライトノベル・メディア・ジェンダー』〈青弓社〉所収)

今、また一つ、浅草という大鍋に、『鬼滅の刃』という新しい具材が加わりました。「巡礼」に訪れ、アニメの世界観の醍醐味(だいごみ)を味(あじ)わいながら、個人的な解釈を深めていく人々が、これから後を絶(た)たないことでしょう。

そう言えば、浅草という地名の由来に「聖地」説があるのをご存じでしょうか。

定説(ていせつ)は、浅草寺(せんそうじ)の網野宥俊(あみの・ゆうしゅん)著『浅草寺史談抄』でも示(しめ)しているように、「茅(ちがや)や芝草(しばさく)ばかり生(お)い茂(しげ)っていた草原であったところから、京都の深草(ふかくさ)に対比して、浅草の地名が生まれた」(『台東区史 通史編Ⅱ』台東区史編纂専門委員会)というものです。

しかし、興味深(きょうみぶか)い説として、チベット語の「アーシャークシャ」(「アーシャー」は所在地、「クシャ」は茅または聖)に由来(ゆらい)すると唱(とな)えている人がいます(同書)。日本で初めてチベット入りした仏教学者(ぶっきょうがくしゃ)の河口慧海(かわぐち・えかい)です。

すなわち、浅草は「聖者のいます所」です。

まさに「聖地」ここにあり、というわけです。