浅草をめぐる日本語情緒<21> 浅草寺(せんそうじ)で紅葉(こうよう)と初春(しょしゅん)を、浅草神社(あさくさじんじゃ)で紅葉(もみじ)と初春(はつはる)を

隅田川沿いの今戸1丁目から

浅草をめぐる日本語情緒<21>

浅草寺(せんそうじ)で紅葉(こうよう)と初春(しょしゅん)を、浅草神社(あさくさじんじゃ)で紅葉(もみじ)と初春(はつはる)を

隅田川沿(すみだがわぞ)いは、春の桜も魅力(みりょく)いっぱいですが、秋の紅葉も見事(みごと)なものです。東京スカツリーをバックに日本の風情(ふぜい)に心が自然と躍(おど)ります。

紅葉は「こうよう」と「もみじ」の読み方があります。「こうよう」は音(おん)読みで、「もみじ」は訓(くん)読みです。

隅田公園

木々が「紅葉する」というように、動詞としても使いますが、その場合は「こうようする」です。「もみじする」とは言いません。

ただ、「もみじ」の語源(ごげん)について、次のような説(せつ)があり、元(もと)は動詞(どうし)だったようです。

秋に草木(そうもく)の葉が色づくことをいう「もみじ(ち)」は、元は「もみつ(づ・ず)」という動詞の連用形(れんようけい)であった。

笹原宏之『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)

「紅葉する」とは、緑(みどり)色の葉(は)が赤く染(そ)まっていく自然現象(げんしょう)を表(あらわ)します。その結果(けっか)、赤く染まった葉を「もみじ」と言うのです。

「紅葉狩り」は「もみじがり」で、「こうようがり」とは言いません。「狩り」とは言うものの、葉をちぎったりするのではなく、あくまで「鑑賞(かんしょう)」です。紅葉を目で楽しむ趣向(しゅこう)です。

昔(むかし)の貴族(きぞく)がしゃれて「紅葉を狩りに行く」と言ったのが語源(ごげん)だそうです。

厳密(げんみつ)には違いがありますが、例(たとえ)えば「隅田川の紅葉を見に行こう。」という場合、「こうよう」でも「もみじ」でも読み方はどちらでもいいと思います。

日本語には「紅葉」のように、一つの熟語(じゅくご)に「音」と「訓」の二通りの読み方をするものがあります。

「音読み」は中国から伝来(でんらい)した発音(はつおん)が基(もと)になっています。

「訓読み」は日本古来(こらい)の発音です。

「生物」は「せいぶつ」と「なまもの」

「せいぶつ」といえば学問的(がくもんてき)な感じがしますが、「なまもの」というと日常的(にちじょうてき)で、どこか卑近(ひきん)な感じがします。読み方によって全(まった)く別の意味を表す例です。

「風車」は「ふうしゃ」と「かざぐるま」

「ふうしゃ」は風力を利用(りよう)する大きな装置(そうち)で、「かざぐるま」は子どもの玩具(がんぐ)です。

「冷酒」はどうでしょうか。

「冷酒」は「れいしゅ」と「ひやざけ」

「れいしゅ」と読めば、ちょっと高級感(こうきゅうかん)のある酒で、「ひやざけ」と読めば、安価(あんか)な酒というイメージがあります。同じ冷たいお酒でも、読み方によって伝わるイメージが変わってくる例です。

とはいえ、「ひやざけ」は「ひや」とも言いますが、「熱燗(あつかん)」に対する語で、温(あたた)めないお酒、すなわち「常温8じょうおん)」のお酒を意味するものです。

「初春」は「しゅしゅん」と「はつはる」

「初春」を「しょしゅん」と読めば漢語(かんご)で力強く、正月(しょがつ)を祝(いわ)う印象(いんしょう)がします。一方、「はつはる」と読めば、和語(わご)の柔(やわ)らかさで包(つつ)み込(こ)むように新年(しんねん)をことほぐ雰囲気(ふんいき)があります。

「白髪」も気になるところです。

「白髪」は「はくはつ」と「しらが」

老化(ろうか)現象の一つで、黒い毛髪(もうはつ)に白い毛髪が1本、2本と。「あー、白髪(しらが)だ。目立だって嫌(いや)だなー。」

でも、黒がほとんど白になると、それはそれで、立派(りっぱ)な白髪(はくはつ)姿の紳士(しんし)・淑女(しゅくじょ)です。

他(ほか)にもまだまだあります。

「泥水」は「でいすい」と「どろみず」

「雨水」は「うすい」と「あまみず」

「足跡」は「そくせき」と「あしあと」

「罪人」は「ざいにん」と「つみびと」

「国境」は「こっきょう」と「くにざかい」

「学舎」は「がくしゃ」と「まなびや」

「草原」は「そうげん」と「くさはら」

「赤子」は「せきし」と「あかご」

「二重」は「にじゅう」と「ふたえ」

「三重」は「さんじゅう」と「みえ」

「宝物」は「ほうもつ」と「たからもの」

別の意味になる場合もあれば、イメージが異(こと)なる場合もあります。それぞれ吟味(ぎんみ)してみてはいかがでしょうか。

浅草の観光(かんこう)スポットの一つに浅草寺(せんそうじ)があります。西暦(せいれき)628年の創建(そうけん)で、東京で最古(さいこ)の寺院(じいん)として著名(ちょめい)です。初詣(はつもうで)に行く留学生(りゅうがくせい)も多いです。

そして、浅草寺のすぐ近くには浅草神社(あさくさじんじゃ)があります。

左に浅草寺、右に浅草神社

この2つ、同じ「浅草」でも、読み方が異なります。浅草寺は「せんそうじ」で、浅草神社は「あさくさじんじゃ」。そうです、音読みと訓読みです。

お寺(てら)は仏教(ぶっきょう)なので、インド、中国、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)を経(へ)て日本に渡(わた)ってきた宗教(しゅうきょう)施設(しせつ)。神社(じんじゃ)は日本古来の宗教施設。

音読みも中国から渡ってきたもの。だから、お寺の浅草寺は音読みなのでしょう。

日本に起源(きげん)のある浅草神社は、当然(とうぜん)、訓読みになるわけです。もっとも「神社」という読み方(かた)自体(じたい)は音読みなのですが。

第2次世界大戦後(せかいたんせんご)、日本に進駐(しんちゅう)した連合軍総司令部(れんごうぐんそうしれいぶ=GHQ)が、浅草寺(SENSOUJI)を「戦争寺」と間違(まちが)えてしまい、寺を解体(かいたい)させられそうになったという逸話(いつわ)が残(のこ)っているそうです。

『訓読みのはなし』の著者、笹原宏之氏は下記のように述べています。

訓読みが、日本語の表記(ひょうき)システムを複雑(ふくざつ)なものにしているという面(めん)は否定(ひてい)できない。一方(いっぽう)で、その運用(うんよう)にも自由度(じゆうど)が高いことが日本語表記の多様性(たようせい)を世界随一(ずいいち)のものにしている。普段(ふだん)、特に意識(いしき)することなく訓読みを使いこなしてるのであれば、こうしたことを思い返(かえ)し、漢字による表現の世界を改(あらた)めて振(ふ)り返(かえ)るのもよいだろう。

笹原宏之『訓読みのはなし 漢字文化圏の中の日本語』(光文社新書)

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