浅草をめぐる日本語情緒<24> 「はきだおれ市(いち)」に皮革産業(ひかくさんぎょう)の心意気(こころいき)

花川戸はきだおれ市(2021年12月18日)

浅草をめぐる日本語情緒<24>

「はきだおれ市(いち)」に皮革産業(ひかくさんぎょう)の心意気(こころいき)

以前、滋賀(しが)県の近江八幡(おうみはちまん)を訪(おとず)れたことがあります。桜の季節(きせつ)、ノスタルジーを感じさせる街並(まちな)みや八幡堀(はちまんぼり)周辺を歩きました。

滋賀県近江八幡市の八幡堀

建築家(けんちくか)のヴォーリズが設計(せっけい)した元八幡警察署(けいさつしょ)を、そのまま利用(りよう)した趣深(おもむきぶか)い資料館(しりょうかん)にも立ち寄(よ)りました。そこに革靴(かわぐつ)とミシンの展示品(てんじひん)がありました。「八幡靴(はちまんぐつ)」と題(だい)する説明文(せつめいぶん)が添(そ)えられています。

近江八幡で製造(せいぞう)された『八幡靴』は、品質(ひんしつ)の高さで知られており、近江八幡市名誉市民(めいよしみん)第1号のW.M.ヴォーリズが、アメリカ帰国(きこく)の折(おり)、滞在先(たいざいさき)のシカゴで愛用(あいよう)の近江靴を修理(しゅうり)に出した時、当時の職人(しょくにん)がこんな素晴(すば)らしい靴は見たことが無いと感心(かんしん)したという逸話(いつわ)も残っています。

近江八幡市立資料館の展示説明文より

近江八幡市立資料館に展示されている八幡靴

浅草も、皮革産業(ひかくさんぎょう)が昔から盛(さか)んでした。

浅草国際学院の並(なら)びにも、1935年創業(そうぎょう)の歴史(れきし)ある革ジャンメーカーの店舗(てんぽ)ビルがあります。

革ジャンメーカーの老舗(しにせ)カドヤ

「皮革(ひかく)」とは、生(なま)の「皮(かわ)」と加工後(かこうご)の「革(かわ)」を合わせて言う表現(ひょうげん)です。

もう少し詳(くわ)しく言うと、「皮」とは動植物(どうしょくぶつ)の中身(なかみ)を覆(おお)い包(つつ)んでいるものを指(さ)します。そして、その皮を加工したものが「革」です。

この加工作業(さぎょう)のことを「なめす」(鞣す)と言います。毛を取り、樹液(じゅえき)や薬品(やくひん)で腐敗(ふはい)を防(ふせ)ぎ、柔軟性(じゅうなんせい)を維持(いじ)させるのです。つまり、なめす前が「皮」、後が「革」です。

ちなみに、「牛革」は「ぎゅうかく」ではなく、通常「ぎゅうかわ」です。

隅田川沿(すみだがわぞ)いを歩くと花川戸(はなかわと)という美しい地名があり、花川戸公園(こうえん)があります。この公園の道路脇(どうろわき)に「履物問屋街(はきものとんやがい)発祥碑(はっしょうひ)」が設置(せっち)されています。

履物(はきもの)、すなわち下駄(げた)や草履(ぞうり)の問屋街の発祥地であり、今は靴やサンダル、ブーツなどの問屋が集まっている地域です。

履物問屋街発祥碑

浅草は「履物の街」「靴の街」と言われることがありますが、それは、伝統的(でんとうてき)な意味(いみ)だけではありません。

靴を科学(かがく)しようとの試(こころ)みで発足(ほっそく)した「足入れの良い健康(けんこう)革靴プロジェクト」が2011年に立ち上がりました。この企画(きかく)の報告会(ほうこくかい)が浅草で行(おこな)われるなど、新しいメードインジャパンの革靴の開発(かいはつ)にも浅草は大いに貢献(こうけん)しています。

このプロジェクトは経済産業省(けいざいさんぎょうしょう)の支援(しえん)を受け、日本皮革産業連合会(れんごうかい)、産業技術(ぎじゅつ)総合(そうごう)研究所(けんきゅうじょ)が革靴業界(ぎょうかい)と連携(れんけい)して、日本人に適(てき)したフィッテイング感の良い靴を作成(さくせい)するための靴型(くつがた)を創作(そうさく)しようという試(こころ)みでした。

3年間の研究を経(へ)て、実用化(じつようか)されています。

大﨑茂芳(おおさき・しげよし)著『コラーゲンの話 健康と美をまもる高分子(こうぶんし)』に、「牛革におけるコラーゲン」という一節(いっせつ)があります。

牛革のどの辺(へん)を裁断(さいだん)したら靴の素材(そざい)として適(てき)しているかは、職人(しょくにん)たちの長年の経験(けいけん)に基(もと)づいて判断(はんだん)されていた。

大﨑茂芳『コラーゲンの話 健康と美をまもる高分子』(中央公論新社)

しかし、今や後継者不足(こうけいしゃぶそく)が深刻(しんこく)です。そこで、職人の経験と勘(かん)が頼(たよ)りだった靴製造を科学に基づき継承(けいしょう)しようと、コラーゲン研究者の著者(ちょしゃ)は考えました。自動計測(じどうけいそく)による革の良(よ)し悪(あ)しの判断を試みたのです。

私は、マイクロ波方式(はほうしき)で自動的に計測してコラーゲン線維(せんい)の配向性(はいこうせい)を認識(にんしき)し、靴の製作(せいさく)に最(もっと)も適した箇所(かしょ)を有効(ゆうこう)に切り取る方法(ほうほう)を提案(ていあん)することにした。

(中略)加工メーカーとしても、個々(ここ)の革におけるコラーゲン線維の配向分布(ぶんぷ)が分(わ)かれば、用途(ようと)に応(おう)じた革の利用が可能になる。

大﨑茂芳『コラーゲンの話 健康と美をまもる高分子』(中央公論新社)

「ビスポーク靴」という言葉があります。「ビスポーク」とは英語の「be spoken」から来ており、オーダーメードの靴を作るに当(あ)たって、職人が客(きゃく)と対話(たいわ)を重(かさ)ねながら作業(さぎょう)を進めることを意味しています。ビスポーク靴について、 山口千尋(やまぐち・ちひろ)監修 (かんしゅう)『製靴書(せいかしょ)』に次のように記(しる)されています。

革はたとえ同じ種類(しゅるい)のものでも、一枚一枚コンディションや個性(こせい)が異(こと)なります。そのため、単(たん)に革の種類だけにとどまらず、その中からどの一枚を選(えら)ぶか、さらにはその革のどの部分(ぶぶん)を使用(しよう)するかまで考えます。靴の特徴(とくちょう)をどう革に置(お)き換(か)えるかがビスポーク革靴の特徴(とくちょう)であり、最(もっと)も難しいところでもあるのです。

山口千尋監修『オーダーからその制作技術まで 製靴書 ――ビスポーク・シューメイキング』(成文堂新光社)

花川戸公園では毎年12月、「花川戸はきだおれ市」が開(ひら)かれます。在庫一掃(ざいこいっそう)セールで、多くの購入者(こうにゅうしゃ)で賑(にぎ)わいます。今年2021年は12月18日、19日の開催(かいさい)でした。

「はきだおれ」と言えば、神戸(こうべ)の「履(は)きだおれ」も、つとに有名(ゆうめい)です。阪神(はんしん)・淡路(あわじ)大震災(だいしんさい)で壊滅状況(かいめいじょうきょう)に陥(おちい)った地域もあったそうですが、今また復活(ふっかつ)の勢(いきお)いといいます。

関西には大阪の「食いだおれ」、京都の「着(き)だおれ」、そして神戸の「履きだおれ」という言葉があります。

大阪「食いだおれ」

京都「着だおれ」

神戸「履きだおれ」

接尾語的(せつびごてき)に使用する「~だおれ」は漢字で書くと「~倒れ」となり、本来はあまり良くない意味です。

「着だおれ」と言えば、着るものに財産(ざいさん)を費(つい)やし身(み)を滅(ほろ)ぼすことを言います。

「江戸の飲みだおれ」などは、酒に溺(おぼ)れて身上(しんじょう)をつぶすイメージです。

また、「看板(かんばん)だおれ」は実態(じったい)が伴(とも)わない見せかけだけのことを指(さ)します。

一方、「はきだおれ市」の用法(ようほう)は、いくら履(は)き尽(つ)くしてもいくらでも生産(せいさん)し、売り尽くしてみせるという職人や問屋(とんや)の方々(かたがた)の心意気(こころいき)が感じられ、いっそ清々(すがすが)しい気分(きぶん)にさせられます。