鉾田(ほこた)をいろどる日本語模様<10> 俳聖・松尾芭蕉ゆかりの月見寺「大儀寺」

俳聖・松尾芭蕉ゆかりの月見寺「大儀寺」

初桜 折しも 今日は よき日なり (松尾芭蕉)

浅草国際学院茨城校では2023年3月20日、今年度の最後の授業が行われ、2人の修了生を送り出しました。この佳き日、近くの旧諏訪小学校の桜木にも、学生たちの前途を祝うように初桜が1輪、2輪と咲きました。まだ蕾ばかりの小学校の桜も、いずれも満開に。わが校にも多くの人財の花が咲き薫ることを願っています。

鉾田市阿玉に「奥の細道」ならぬ「句碑ノ細道」があります。

「俳句の寺」として全国的にも有名な大儀寺境内です。

竹林の中に、まるでタケノコのように、いくつもの句碑が突き出ています。その数、190基と言います。

この奇景、俳聖と仰がれる松尾芭蕉(ばしょう)を慕う現代俳人たちが、自作自筆の俳句を刻んだ句碑を建てた結果だそうです。

松尾芭蕉は、44歳のときに「奥の細道」の旅をしますが、その2年前、鹿島神宮へ訪れています。鹿島詣での旅は『鹿島紀行』として著されています。

『鹿島紀行』に次の句が詠まれています。

月はやし 梢(こずゑ)は 雨を持(もち)ながら

【月が雲の間を素早く走っているように見える。雨がやんだ直後で木の梢にはまだ雨のしずくが残っているのに。】

「持ちながら」の「ながら」は逆説の意味です。同時並行の「ながら」もあるので、日本語学習者の読解力が試される文法項目です。

名月を見ながら、お酒を飲む。

[名月を観賞するのと同時に(名月の美しさに酔い、なおかつ)お酒にも酔う。]

名月を見に来ていながら、スマホでゲームをする。

[せっかく名月を観賞しに来たのに、スマホでゲームをしているのは、実にもったいないことだ。]

『鹿島紀行』の次の句も有名です。

寺に寝て まこと顔なる 月見哉

【寺に宿って、月を見上げたのだが、実に真面目で宗教的な顔つきになって月見をしたものよ。】

この「寺に寝て」という寺について、大儀寺だという説と、いや鹿嶋の根本寺であるという説があります。

いずれにせよ、大儀寺は別名、「月見寺」と称されています。

この折の旅の目的は、芭蕉の思想面の師匠・仏頂(ぶっちょう)という禅僧に会うためでした。

芭蕉は隅田川を挟んで浅草と対岸にある深川に住居(庵=いおり)を構えていました。その近くに一時、仏頂がいたことから、芭蕉はこの禅僧に師事したのです。

仏頂は鉾田の出身で、大儀寺は、仏頂が再興した寺です。

まこと顔と仏頂面

鹿野貞一著『芭蕉の師 仏頂和尚』では、歴代の根本寺住職の名前が面白いとして、「仏頂面(づら)の仏頂和尚は二十一世」と挙げています。そして、「仏頂面をし言動は厳しく激しいが、根は優しい人物だったに違いない。」と評しています。

仏頂面とは、不愛想、不機嫌な顔つきを言います。仏の頭上を仏頂尊と言い、これは仏の智慧と関係しているのですが、本来、慈悲深いものが、その表情の無さから恐ろしい顔つきという意味になったと考えられています。

「しかめっつら」(しかめつら)も、機嫌のよくない顔つきを言います。

「仏頂面」が眉間にしわを寄せない顔で、「しかめっつら」は眉間にしわを寄せている顔だという区別があります。

芭蕉が「仏頂面」の師匠と名月を観ながら、自身は「まこと顔」と詠んだ趣(おもむき)に、奥深いものを感じてなりません。

「桃青」は『鹿島紀行』当時の松尾芭蕉の俳号

仏頂面も、しかめっつらも、まこと顔も、どこ吹く風と、青空に向かって1本の竹が伸びゆくさまが印象的でした。

今回をもちまして「鉾田をいろどる日本語模様」を終了します。ご愛読ありがとうございました。(浅草国際学院茨城校校長 野上英明)